丹羽保次郎

(にわやすじろう)
発明家・技術者・電気工学者・工学博士。日本電気株式会社(NEC)に勤めていた際、NE式写真電送装置(ファクシミリ)を開発したことで広く世の中にその名を知られるようになった。ビタミンB1を発見した鈴木梅太郎や、テレビジョンを発明した山本忠興らと並んで、日本の十大発明家の1人とされることもある。文化勲章・勲一等瑞宝章受章者。出身地である三重県松阪市の第1号名誉市民でもある。銀行家で、日本銀行総裁や日商岩井株式会社社長などを務めた速水優は甥にあたる。

東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業後、逓信省電気試験所への勤務などを経て、1924年に日本電気株式会社に入社。東京帝国大学による工学博士の授与などを経て、1927年に技術部長に昇進。ほどなくして、のちに日本電気の専務取締役となった小林正次らとともにNE式写真電送装置(ファクシミリ)を開発し、全国で広く利用されるようになった。一方で、東京都足立区に本拠を構える東京電機大学の初代学長や、社団法人テレビジョン学会初代会長などの要職も歴任した。

東京都港区にある病院にて死去。死因は、心筋梗塞であった。82歳。会合に出席中、突然倒れ、病院に緊急搬送されたもののそのまま亡くなってしまったという。

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