(さとうえいさく)
政治家・鉄道官僚。衆議院議員。元内閣総理大臣(第61代・第62代・第63代)。そのほか、内閣官房長官・運輸次官・大蔵大臣・郵政大臣・通商産業大臣・建設大臣・電気通信大臣・北海道開発庁長官・科学技術庁長官など、数々の要職を務めた。同じく政治家で、やはり内閣総理大臣を務めた岸信介の弟。政治家で、衆参両院議員を務めた佐藤信二の父。大勲位菊花大綬章受章者。スペイン政府「イザベル・ラ・カトリカ大十字勲章」受章者。なお、「佐藤榮作」と表記されることもある。
山口県熊毛郡(現在の山口県田布施町)に生まれ、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業後、1924年に鉄道省へ入省。鉄道省監督局総務課長、大阪鉄道局長などを経て、1947年に運輸次官に就任。その後、内閣官房長官を経て、1949年に衆議院議員総選挙に旧山口2区より出馬し、初当選を果たす。以後、当選回数11回を誇り、亡くなるまで衆議院議員であり続けた。その間、1964年に内閣総理大臣に就任し、1972年まで3期連続で務めたほか、上述したような数々の要職を歴任。さらに1974年には、ノーベル平和賞を受賞。受賞理由は、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という、非核三原則を提唱したことであった。
著書に、「今日は明日の前日」「有言実行」「繁栄への道」「佐藤内閣総理大臣演説集」「佐藤栄作日記(シリーズ)」などがある。
東京都港区にある病院にて死去。死因は、脳卒中であった。74歳。東京都中央区築地にある料亭にて会食中に倒れ、そのまま料亭で4日間容態を見たのちに病院に移送されたが、意識が戻ることはなかったという。