木戸新太郎

(きどしんたろう)
俳優・タップダンサー・喜劇人。特に、喜劇俳優や映画俳優として活躍した。映画においては愛称である「キドシン」の名義でクレジットされていることが多い。

1916年に北海道庁函館区(現在の北海道函館市)に生まれ、少年時代に観た映画にてアメリカのダンサー・俳優・歌手であるフレッド・アステアに感化され、タップダンスに関心を寄せるようになる。1937年に上京し、モダンダンスの創始者で、「社交ダンスの父」「ディスコの生みの親」などと称される中川三郎(吉本興業株式会社所属)に師事。翌1938年には、吉本興業の傘下にて「暁楽劇団(木戸新太郎劇団)」や「キドシン一座」を旗揚げした。第二次世界大戦後は、新東宝株式会社に入り、斎藤寅次郎が監督を務めた「誰がために金はある」にて映画デビュー。以後、数々の映画で活躍するようになる。また、吉本興業に所属していた縁から、大阪で行われている吉本新喜劇の公演に出演したこともあった。

出演した主な映画には、上述したデビュー作「誰がために金はある」を始め、「嫁入聟取花合戦」「あきれた娘たち」「なやまし五人男」「新東京音頭」「憧れのハワイ航路」「バナナ娘」「戦後派親父」「女次郎長ワクワク道中」「アマカラ珍道中」「昔話ホルモン物語」「大当りパチンコ娘」「底抜け青春音頭」「娘十九はまだ純情よ」「ひばり捕物帳」「落語長屋のお化け騒動」「娘ごゝろは恥づかしうれし」「鶴亀先生」「仇討珍剣法」「花ごよみ八笑人」「海の純情」「ジャズ娘誕生」「ドラムと恋と夢」「嵐を呼ぶ男」「鷲と鷹」「星は何でも知っている」「素晴しき男性」忘れ得ぬ人」などがある。

東京都内にある病院にて死去。死因は、脳出血であった。59歳。

タイトルとURLをコピーしました