歌手・ミュージシャン・俳優(アメリカ)。正式名「エルヴィス・アーロン・プレスリー」(Elvis Aron Presley)。日本語での表記は「エルヴィス・プレスリー」のほか、「エルヴィス=プレスリー」「エルビス・プレスリー」「エルビス=プレスリー」などの揺れがある。女優・実業家であるプリシラ・プレスリーの元夫。歌手・作家であるリサ・マリー・プレスリーの父。
ロック歌手として世界中で爆発的な人気を博し、全世界におけるレコードやCD、カセットなどの売り上げ総数は5億本以上と言われる。歴史上最も多くの売上高を誇るミュージシャンの1人。世界中のミュージシャンやアーティストに多大なる影響を与え、歴史上の伝説的な人物として今なお崇拝者が後を絶たない。
アメリカ合衆国南部・ ミシシッピ州のテューペロに生まれ、幼少時代に買い与えられたアコースティック・ギターに夢中になったことをきっかけに、音楽の世界へとのめり込んでいった。高校を卒業後、精密金型製造会社社員やトラック運転手として働いていたが、1953年にメンフィス・サンスタジオにてデモを吹き込み、これをサン・レコードの創業者サム・フィリップスが聴いて才能を見出したことでプロの道へ。初めはメンフィスなど局所的なヒットだったが、徐々に評判が広まり、1955年にRCAビクターと契約してテレビなどに出演するようになったことで一気にスターダムにのし上がった。
発表した主なシングル曲には、「ハートブレイク・ホテル」「ハウンド・ドッグ」「テディ・ベア」「恋にしびれて」「ラヴ・ミー・テンダー」「ドントまずいぜ」「監獄ロック」「イッツ・ナウ・オア・ネバー」「グッド・ラック・チャーム」「サレンダー」「今夜はひとりかい?」「サスピシャス・マインド」「ワン・ナイト」「フール・サッチ・アズ・アイ」「ドント・クライ・ダディ」「望みがかなった」「好きにならずにいられない」「ワンダー・オブ・ユー」「心の届かぬラヴ・レター」「アメリカの祈り」「バーニング・ラヴ」「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」「ロックンロール魂」など、多数。
発表した主なオリジナル・アルバムには、「エルヴィス・プレスリー登場!」「エルヴィス・クリスマス・アルバム」「心のふるさと」「ポット・ラック」「歌の贈り物」「エルヴィス・イズ・バック」「バック・イン・メンフィス」「初めてのクリスマス」「ラヴ・レター・フロム・エルヴィス」「ロックン・ロール魂」「至上の愛」「エルヴィス・ナウ」「約束の地」「グッド・タイムス」「メンフィスより愛をこめて」「ムーディ・ブルー」などがある。そのほか、「エルヴィスNBC TVスペシャル」「エルヴィス・オン・ステージ」「ライヴ・イン・メンフィス」「アロハ・フロム・ハワイ」「エルヴィス・ライヴ・イン・ラスベガス」「エルヴィス・イン・ニューヨーク」など、ライブ・アルバムも多数。
ライブ映画など、本人が出演(ほぼすべてで主演)している作品には、「さまよう青春」「監獄ロック 」「やさしく愛して」「G.I.ブルース」「ブルー・ハワイ」「ガール!ガール!ガール!」「恋のKOパンチ」「アカプルコの海」「青春カーニバル」「いかすぜ!この恋」「スピードウェイ」「ステイ・アウェイ・ジョー」「ダブル・トラブル」「ゴー!ゴー!ゴー!」「バギー万才!!」「スピードウェイ」「エルビス・オン・ステージ」「トラブル・ウィズ・ガール」「殺し屋の烙印」「エルビス・オン・ツアー」「チェンジ・オブ・ハビット」などがある。そのほか、本人の半生などをテーマとした関連作品(映画、書籍、舞台、テレビシリーズ)も多数。
世界記録(ギネス・ワールド・レコード)を含む主な記録や栄誉には、「ロックの殿堂」入りを始め、「カントリーの殿堂」「世界の音楽を最も変えた曲(That’s All Right)」「世界で最も成功したソロ・アーティスト」「イギリスで最もヒットしたアーティスト」「最も長期に渡りアルバムのチャートNo.1を獲得したアーティスト」「最多ヒットシングル記録(151曲)」「世界に最もファンクラブが多いアーティスト(世界で625ものファンクラブがあるという)」「世界で最も訪問される墓(没後)」「死後、最も売り上げが多いアーティスト(没後)」など、枚挙に暇がない。
アメリカ合衆国テネシー州のメンフィスにある自宅「グレイスランド」(当人の住む邸宅を含めた敷地はこう呼ばれた)にて死去。死因は、処方薬の極端な誤用による不整脈であった。42歳。交際相手によって、寝室トイレの床に倒れているのが見つかり病院へ緊急搬送されたものの、死亡が確認されたという。