古賀政男

(こがまさお)
作曲家・ギタリスト。昭和時代を代表する作曲家として名を馳せ、国民栄誉賞も受賞した希代の人物。生涯における通算の作曲数は5,000にも及ぶと言われており、その作風は「古賀メロディー」と呼ばれて親しまれた。作曲活動の傍ら、日本作曲家協会を創設し初代会長となるなど、数々の要職も務めた。なお、「古賀正男」(読み同じ)という本名での活動歴もある。紫綬褒章・従四位勲三等瑞宝章受章者。

1904年、福岡県三潴郡(現在の福岡県大川市)に生まれ、中学3年時にマンドリンを手にしたことをきっかけに、音楽家の道を歩むことを決意。1923年に入学した明治大学ではマンドリン倶楽部の創設にも参画し、難曲と言われる「幻想的狂想曲」(ロマーノ)を独奏するなどの活躍を見せた。卒業後は指導者として音楽活動を続けながら自作の曲を吹き込むなどしていたが、1931年に日本コロムビアの専属となり、プロ作曲家としての第一歩を踏み出す。その後は上述の通り通算で5,000にも及ぶ数々の作品を発表。日本レコード大賞受賞やミリオンセラー達成など、輝かしい記録を残した作品も数多い。

主な作品(歌謡曲)には、「丘を越えて」「酒は涙か溜息か」「サーカスの唄」「ほんとにそうなら」「男のまごころ」「夕べ仄かに」「ゆかりの唄」「女の階級」「うちの女房にゃ髭がある」「ああそれなのに」「人生の並木路」「東京盆踊り」「人生劇場」「目ン無い千鳥」「そうだその意気」「どうぢゃね元気かね」「母を呼ぶ歌」「陥としたぞシンガポール」「麗人の歌」「湯の町エレジー」「恋の曼珠沙華」「銀座シャンソン」「トンコ節」「ゲイシャ・ワルツ」「港の町よさようなら」「マドロス子守唄」「ピレネエの山の男」「青春サイクリング」「東京五輪音頭」「無法松の一生」「柔」「悲しい酒」「敦盛哀歌」「佐渡の石小法師」「ひろしまの母」などがある。

また、音楽を手掛けた映画作品には、「ジャズ忠臣蔵」「サヨンの鐘」「七つの宝石」「弥次㐂夛道中記」「新妻鏡」「からくり歌劇」「歌ふ狸御殿」「熱砂の誓ひ」などがある。

門下生に、近江俊郎やアントニオ古賀、鶴岡雅義を始め、歌手やタレントとして長きに渡って第一線での活躍を続けている小林幸子、美川憲一、大川栄策らがいる。

東京都渋谷区にある自宅にて死去。死因は、急性心不全であった。73歳。

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