(あきのうみせつお)
元大相撲力士。第37代横綱。所属は、相撲界随一の名門で、13の相撲部屋から構成される出羽海一門の本家である出羽海部屋であった。第35代横綱である双葉山定次の70連勝がかかった「世紀の一番」を制した力士として有名(1939年1月15日、1月場所の4日目)。なお、本名は同表記「節男」で「たかお」と呼んだ(永田節男(ながたたかお))。
生涯の通算成績は、32場所で209勝101敗(38休)、勝率は6割7分4厘だった。幕内に限れば18場所で142勝59敗(38休)、勝率7割0分6厘。横綱としての在位は8場所で、その間の成績は38勝19敗(38休)、勝率6割6分7厘。幕内最高優勝は1回。引退後は相撲協会理事に就任し、次期出羽海の有力候補となっていたが、離婚問題などもあり実現せず、1954年に廃業。その後は、料理店やアパートなどを経営していた。
神奈川県鎌倉市にある病院にて死去。死因は、鬱血性心不全であった。64歳。