羽田武嗣郎

(はたぶしろう)
政治家・元衆議院議員。1994年4月から6月まで第80代となる内閣総理大臣を務めた羽田孜の父。同じく政治家で、参議院議員を務めた羽田雄一郎や羽田次郎、および神津健の祖父。教育者・実業家であり、バス会社である「和田嶺自動車」の社長なども務めた羽田貞義の息子。所属政党は、自由民主党。

長野県小県郡(現在の長野県長和町)に生まれ、東北帝国大学(現在の東北大学)を卒業後、朝日新聞社へ勤務。鉄道大臣秘書官や政治部記者などを経て、1937年の衆議院議員総選挙に出馬、初当選を果たす。以後、翼賛議員だったことを根拠として第二次世界大戦後に一時公職を追放された時期もあったが、通算で9度の当選回数を誇り、その間に大政翼賛会中央訓練所錬成部副部長、自由党政調副会長、農林政務次官、衆議院建設委員長などの要職を歴任した。

1963年に脳出血に見舞われ、以後は、健康状態に不安を抱えながらの政治活動となる。1967年の衆議院議員総選挙にも立候補し、当選を果たすも、体調を崩しがちで政治活動が難しくなる。そのため、1969年に長男である羽田孜を後継者にしつつ政界を引退した。

死因などの詳細は明確になっていない。76歳。

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