杉原千畝

(すぎはらちうね)
外交官・元領事館員。歌人で、「六千人の命のビザ」の著者でもある杉原幸子の夫。翻訳家である杉原弘樹の父。「ちうね」(Chiune)が外国人には発音しづらいため、「Sempo Sugihara」という別名がある。岐阜県武儀郡(現在の岐阜県美濃市)出身。勲五等瑞宝章受章者。

第二次世界大戦中、リトアニア共和国のカウナス領事館に赴任していた際、ナチス・ドイツの迫害によってヨーロッパ各地から追われてきた難民の窮状を目の当たりにして苦悩。同じく外交官であった根井三郎と協力し、大量の通過査証(ビザ)を発行することにより日本経由で多数の難民(その多くがユダヤ人系であった)を救済した。その後はナチス・ドイツから警戒され、ルーマニアのブカレスト公使館への勤務などを経て1945年にブカレスト郊外の捕虜収容所に収容されるも、1947年に無事帰国を果たす。その功績は、ナチス・ドイツによって強制収容所に収容されていた多くのユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーに例えられ、「東洋のシンドラー」などの呼称で称えられた。2022年10月には、イスラエルの首都エルサレム市が、同市の南西部にある広場を「チウネ・スギハラ広場」と命名した上、記念式典を開催するなど、今なおその影響力は各地で色濃く残っている。

当人の功績やその半生は、「センポ・スギハァラ」「SE・M・PO – 日本のシンドラー・杉原千畝物語」「杉原千畝物語 – オペラ・人道の桜」「決断・命のビザ 〜 SEMPO 杉原千畝物語 〜」といった舞台やオペラ・ミュージカルなど、現在も数々の作品で主要テーマとして取り扱われている。そのほか、「杉原千畝/スギハラチウネ」「ビザと美徳」などの映画や、「日本のシンドラー・杉原千畝物語 – 六千人の命のビザ」「命のビザ」などのテレビドラマも製作された。

神奈川県鎌倉市にある病院にて死去。死因などの詳細な情報は明らかになっていないが、心臓病に悩まされていたという。86歳。

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