栃錦清隆

(とちにしききよたか)
元大相撲力士。第44代横綱。所属は、出羽海一門である春日野部屋だった。

東京府南葛飾郡(現在の東京都江戸川区)に生まれ、幼少時代から抜群の運動神経を発揮。下小岩尋常小学校(現在の江戸川区立下小岩小学校)を卒業後、わずか13歳にして春日野部屋の門を叩く。1939年1月に初土俵。1947年6月に新入幕を果たすも、当初は体重が75kgしかなく、軽量力士として苦労を余儀なくされた。

入幕から2場所目となる1947年11月場所では、西前頭16枚目として9勝2敗の成績をあげる。その後、1949年1月場所で技能賞を獲得すると、以後は同賞を数多く獲得する常連となり、小結・関脇・大関と順調に昇進。1955年1月場所より、ついに横綱に登り詰めた。なお、大正時代に生まれた人物としては最後の横綱昇進者であった。横綱時代には、初代若乃花(花田勝治)と良きライバルとして熱戦を繰り返し、1950年代の「栃若時代」を築くに至る。

1960年5月場所を最後に現役を引退。幕内の通算成績は、513勝203敗1分(32休) 勝率は7割1分6厘だった。横綱としての在位は28場所で、成績は292勝84敗(32休)、 勝率は7割7分7厘。幕内最高優勝は10回、三賞は10回(殊勲賞1回、技能賞9回)。引退後は、日本相撲協会理事長などの要職も務めた。

著書に、「栃錦一代」「名人栃錦絶妙の技 – 相撲技七十手」「栃錦・春日野自伝」など。

福岡県福岡市にある病院にて死去。死因は、脳梗塞による肺炎であった。64歳。数ヵ月ほど前に同病にて倒れ、緊急入院の上、絶対安静の状況だった。

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