(あさひなたかし)
指揮者。大阪フィル(大阪フィルハーモニー交響楽団)設立者・音楽総監督・創立名誉指揮者。その他、日本指揮者協会会長なども歴任。同じく指揮者で、クラリネット奏者でもある朝比奈千足の父。紫綬褒章・勲三等旭日中綬章・文化勲章・ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章者。兵庫県神戸市名誉市民。
大阪音楽学校(現・大阪音楽大学)非常勤講師、大阪放送管弦楽団の首席指揮者などを経て、1947年、大阪放送管弦楽団の出身者などを収集し、鈴木剛ら関西の経済人による協力を得ながら、大阪フィルハーモニー交響楽団の母体となる「関西交響楽団」を結成した。その後は指揮者として確固たる地位を確立し、出演する演奏会のチケットが入手困難となることもたびたびあった。
著書に、「楽は堂に満ちて」「わが回想」「ベートーヴェンの交響曲を語る」「音楽談義」「この響きの中に : 私の音楽・酒・人生」「指揮者の仕事 : 朝比奈隆の交響楽談」など。
受賞歴に、NHK放送文化賞、モービル音楽賞、毎日芸術賞、朝日賞、ザ・シンフォニーホール国際音楽賞クリスタル賞、キワニス大阪賞、飛驒古川音楽大賞、関西大賞大指揮者賞など、多数。
死因は、食堂癌であった。93歳。2ヶ月程前に行われた名古屋公演まで指揮を務めていたが、その後体調不良を訴え、そのまま亡くなったという。死因は明確には公表されず、老衰など様々な憶測が飛び交ったが、後日、息子である朝比奈千足が、直接の死因が食道癌であったことを書籍「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」において公表している。