女優(アメリカ)。俳優であるドン・マレー(あるいはドン・マーレー、ドン・マーレイなどとも表記)、及び映画監督・プロデューサーであるアラン・J・パクラの元妻。俳優であるクリストファー・マレー(父親と同じくマーレー、マーレイなどの表記あり)の母。
1943年、ニューヨーク・マンハッタンにて「The Patriots」でブロードウェイデビューを果たす。ハリウッドデビューは1956年、ジョシュア・ローガンが監督を務め、マリリン・モンロー及び最初の夫であるドン・マレーが出演したロマンティック・コメディ映画「バス停留所」だった。なお、この作品で共演したドン・マレーと同年に結婚する(1961年、離婚)。
以後、数多くの映画やテレビドラマに出演し、その演技が高く評価された。主な受賞歴に、プライムタイム・エミー賞(コメディ部門主演女優賞)などがあるほか、マーク・ロブソン監督のドラマ映画「青春物語」では、アカデミー賞(主演女優賞)及びゴールデングローブ賞(助演女優賞)にノミネートされた(惜しくも受賞は逃す)。
主な出演映画には、上述した「バス停留所」や「青春物語」を始め、「無法の王者ジェシイ・ジェイムス」「若き獅子たち」「恋のクレジット」「浴槽に消えた女」「大都会の女たち」「ポケット一杯の幸福」「プレイガール陥落す」「逃亡者」「エルム街の悪夢2・フレディの復讐」「狼よさらば」「ラジオタウンで恋をして」「ブルーベルベット」「理由」「今そこにある危機」などがある。
また、テレビドラマでは、シチュエーション・コメディとして人気を博した「ミセスと幽霊」を始め、「デルタ17°/戦火の目撃者」「ウイニングボール」「奇跡の生涯/イエス・キリスト」「カジノ強奪・歓楽の都ラスベガス」「サブマリン・パニック」「自動車王フォード/愛と哀しみのアメリカン・ドリーム」「ビューラ・ランド/愛は大地とともに」「プライベート・セッション」などがある。
死因は、虚血性大腸炎であった。70歳。なお、生年は1933年だが、1931年との説もあり、その場合は72歳ということになる。