丹下健三

(たんげけんぞう)
建築家・都市計画家・一級建築士。古くから日本を代表する世界的な建築家の1人。その功績は「セカイのタンゲ」と呼ばれて称えられた。文化勲章、従三位勲一等瑞宝章、文化勲章、フランス政府レジオンドヌール勲章、フランス芸術文化勲章コマンドール章、ローマ法王庁大聖グレゴリウス勲章、西ドイツ政府プール・ル・メリット勲章、イタリア共和国功労勲章コンメンダトーレ章受章者。文化功労者。

国内においては、広島平和記念公園、東京カテドラル聖マリア大聖堂、国立代々木競技場第一・第二体育館、東京都庁舎など、数々の建築物において設計を手掛けると共に、数多くの国家プロジェクトにも参加した。その一方で、同じく日本を代表する建築家の1人である黒川紀章や、アメリカのロサンゼルス現代美術館を手掛けるなど国際的に活躍しながらポストモダン建築をリードした磯崎新ら、多くの世界的建築家も育成した。

上述したものの他、主な作品(手掛けた建築物など。国内外を問わず)に、岸記念体育会館、広島平和会館原爆記念陳列館、愛媛県民館、清水市庁舎、津田塾大学図書館、広島市公会堂、倉吉市庁舎、香川県庁舎、今治市公会堂、立教大学図書館、電通大阪支社、戸塚カントリークラブ・クラブハウス、香川県立体育館、今治市民会館、ゆかり文化幼稚園、新北市八里・聖心女子大学、フラッシング・メドウ・スポーツ・パーク、東京聖心インターナショナル・スクール、日本オリベッティー港北中央倉庫、今治市庁舎第一別館、在メキシコ日本大使館、駐日ブルガリア大使館、在日トルコ大使館、草月会館、クウェート国際空港、ダマスカス国民宮殿、キングファイサル財団本部、愛媛県県民文化会館、OUBセンタービル、南洋理工大学、シティ・テレコミュニケーション・センター、シンガポール・インドア・スタジアム、広島国際会議場、びわ湖大津プリンスホテル、アップリカ本社ビル、アメリカ医師会本部ビル、パリ・イタリア広場グラン・テクラン、国際連合大学、幕張プリンスホテル、新宿パークタワー、UOBプラザ、日光東照宮客殿、フジテレビ本社ビル、WHO神戸センター、BMWイタリア本社ビル、ニース国立東洋美術館、香川県庁舎、サルヴァトーレ・フェラガモ・フラッグシップショップ、東京ドームホテル、スナム・オフィスタワー・プロジェクト、上海銀行本社ビル、新光人壽信義サービスアパートメント、御茶ノ水NKビル、リニア・コンドミニアム、ロメオ・ホテルなど。これらはほんの一部にすぎず、膨大な数を数える全ての作品をここに掲載することは叶わない。

参加した都市構想・都市計画・開発プロジェクトなどでは、戦災復興都市計画、立川基地跡地文化都市計画、盛岡都市基本計画、上武広域都市開発基本計画、京都都市軸計画、ユーゴスラビア・スコピエ震災復興都市計画、静岡清水地域都市基本計画、ネパール・ルンビニ釈尊生誕地聖域計画、アルジェリアセンター・オラン、アルジェリア・アンダルース湾リゾート総合計画、シリア・ダマスカスパブリックガーデン、アルジェリア・マドラクリゾートコンプレックス、イタリア・リブリーノ新住宅地区都市計画、ナポリ市新都心計画、ネパール・ルンビニ生誕地聖域計画、東京・川の手新都心構想、フランス・セーヌ左岸都市計画、ベトナム・ホーチミン市新都心計画、フィリピン・スービックベイ中心地区都市計画など、こちらも膨大な数のため、とてもではないが全てを記載することは実現できない。

主な受賞歴に、辰野賞、日本建築学会大賞、日本建築学会作品賞、日本建築学会特別賞、高松宮殿下記念世界文化賞、アメリカ合衆国建築家協会(AIA)汎太平洋賞、アメリカプリツカー賞、イギリスRIBAゴールドメダル、アメリカ合衆国AIAゴールドメダル、フランス建築アカデミーゴールドメダルなど、枚挙に暇がない。

著書に、「丹下健三」「わたしの自叙伝」「人間と建築 – デザインおぼえがき」「建築と都市 – デザインおぼえがき」「一本の鉛筆から」「出会い – わが師わが道」「KENZO TANGE ASSOCIATES」「染 – 私の世界」など、多数。

死因は、心不全であった。91歳。

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