音楽家・ヴァイオリニスト(フランス)。「フランコ=ベルギー派」の代表格として有名なフランスのヴァイオリン奏者であるジャック・ティボーに師事し、フランスのエスプリを体現していると評された彼と同様の芸風による演奏を奏でることから、「女ティボー」とも呼ばれた。
幼年時代からヴァイオリンに親しみ、フランスの名高い国立高等音楽院「パリ国立高等音楽院」(パリ国立高等音楽・舞踊学校)に入学して腕を磨く。その後、上述したジャック・ティボーの他、アメリカの著名な音楽家・指揮者・ヴァイオリン奏者であるユーディ・メニューインからも教えを請い、1945年にはスイスのジュネーヴで開催される「ジュネーヴ国際音楽コンクール」で優勝するなど頭角を現した。
以後、ドイツ・アメリカ・ソビエト連邦(現・ロシア)など各国で演奏活動を展開し、ピアニストのジュヌヴィエーヴ・ジョワやジャクリーヌ・ボノーとも共演するなど、世界的なヴァイオリン奏者となる。しかしながら、1969年に交通事故に遭うなどの不運に見舞われ、左手の故障などを理由に40代にして早々に現役引退。引退後は、パリ国立高等音楽院や、アメリカ・ボストンにあるニュー・イングランド音楽院、日本の名門桐朋学園などで後進の指導にあたった。フランスの著名なヴァイオリニストであるフレデリック・ペラシーなどを門下生に持つ。1995年、その業績を称えられ、レジオンドヌール勲章を受章。
活躍期間が短かったために多くの録音は残されてはいないが、「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4&5番」「フランツ・シューベルト:ヴァイオリンとピアノのための作品集」「伝説のヴァイオリニストたち – 演奏会ライヴ録音」「メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲」「グレイト・アーティスト」などのCDにて、心を揺さぶられるようなその演奏を現在でも聴くことが可能となっている。
自宅にて死去。死因などの詳細は不明だが、睡眠中に亡くなったとされている。80歳。