(いちかわしょうすけ)
作曲家。工業高校(福島県立郡山工業高等学校)を卒業後に上京、「カタカナ忠義」で知られる鶴田六郎や「恋のマドロス」を歌った高倉敏らのカバン持ち(付き人)をしながら、独学で作曲を学んだという異色の経歴の持ち主。紫綬褒章・旭日小綬章受章者。「西あきら」名義での活動もある。
作曲家デビューは、1961年、島倉千代子が歌った「恋しているんだもん」であった。この曲によって、日本レコード大賞・作曲奨励賞を受賞した。以後、畠山みどりの「恋は神代の昔から」や都はるみの「アンコ椿は恋の花」など、ミリオンセラーを連発。希代のヒットメーカーとなった。特に都はるみを国民的歌手に育て上げた第一人者として、本人からも「歌謡界の父親」として慕われた。
その他、フリーになる前に日本コロムビア専属作曲家やクラウンレコード専属作曲家を務めた他、日本レコード大賞制定委員、日本レコード大賞実行委員長、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本作曲家協会副委員長などの要職を歴任。
上述したもの以外の主な作品には、「滝の白糸」(石川さゆり)、「海峡氷雨」(市川由紀乃)、「出世街道」(畠山みどり)、「浪花盃」(五木ひろし)、「さざんかの宿」(大川栄策)、「別れてひとり」(大月みやこ)、「花咲港」(川中美幸)、「かしこい女じゃないけれど」(北原由紀)、「忍ぶ雨」(伍代夏子)、「夢がたり」(里見浩太朗)、「鳳仙花」(島倉千代子)、「まんぱく音頭」(子門真人)、「たそがれの赤い月」(ジュディ・オング)、「イルカに乗った少年」(城みちる)、「浪花そだち」(神野美伽)、「涙を抱いた渡り鳥」(水前寺清子)、「あばれ駒」(橋幸夫)、「これで決定いたします」(天童よしみ)、「絶唱」(舟木一夫)、「新宿波止場」(美空ひばり)、「大阪しぐれ」(都はるみ)、「男吉良常」(村田英雄)、「ためいき橋」(森昌子)など、枚挙に暇がない。
その他、「家族そろって歌合戦」「カラオケトライアル」「全国対抗歌合戦」「ルックルックこんにちは」などの歌番組やバラエティ番組でも、司会や審査員として活躍した。
病院にて死去。死因は、肝不全であった。73歳。