赤塚不二夫

(あかつかふじお)
漫画家・タレント・俳優。「ギャグマンガの王様」と呼ばれ、言わずと知れたギャグ漫画界の巨匠にして第一人者。漫画の制作や著作権管理を行い、当人の作品における商品化・広告などのキャラクタービジネスも手掛ける株式会社フジオ・プロダクション(通称:フジオ・プロ)創設者。紫綬褒章受章者。

デビュー作は、1956年の貸本漫画(戦後型貸本業において貸本用に制作されていた漫画作品)の描きおろし作品「嵐をこえて」。以後、「ひみつのアッコちゃん」「ギャグゲリラ」「おそ松くん」「もーれつア太郎」「天才バカボン」など、数々の大ヒット作を連発。一方で、類まれなるタレント性でテレビ番組を始めとする多くのメディアにおいても活躍、芸能界・音楽界などに幅広い交遊関係を持ち、数々の芸人や著名俳優、アーティスト、タレントなどと親交があった。

上述した多くのヒット作を始め、当人が生み出した膨大な数に及ぶ漫画作品は、とてもではないがここにすべてを書き切れるものではない。ほんの一部のみ紹介すると、「まりっぺ先生」「ホームラン教室」「キツツキ貫太」「オーちゃんと11人のなかま」「まかせて長太」「おた助・チカちゃん」「おせっかい一家」「キカンポ元ちゃん」「へんな子ちゃん」「クレージー中学校」「ヒッピーちゃん」「風のカラッペ」「テレテレおじさん」「ヒゲヒゲ物語」「レッツラゴン」「ギャグゲリラ」「ひさし笑劇場」「歌謡ギャグ劇場」「ニャロメ」「ワルワルワールド」「ニャンニャンニャンダ」「ラクガキ」「コングおやじ」「建師ケン作」「ハウスジャックナナちゃん」「キャスター」「チビドン」「花の菊千代」「大日本プータロー一家」「ヤラセテおじさん」「花ちゃん寝る」「トキワ荘グループ テーマ競作選」「いじわる時事」「どうしてくれる!?」「「大先生」を読む。」「ネコの大家さん」などがある。繰り返しになるがこれらはほんの一部である上、連載作品のみとなる。

読み切り漫画では、「ナマちゃんのにちようび」「まさみちゃん」「小包とリンゴ」「ブローチとバレエ靴」「パコちゃんのお正月」「ミミとイコちゃん」「一日ママさん」「タマオのどろぼうたいじ」「お茶の間にあつまれ」「ミスターかぐや」「3センチボーイ」「ぼくはサラリーマン」「ガッチリ三平」「OK!ケンちゃん」「ヨーヨーカポくん」「みがわりおてつだいさん」「デカとチビ」「オハゲのKK太郎」「九平とねえちゃん」「イヤミないやみな一日」「世のニャカまちがっとるヨ」「7くせ一家」「こどもの日ばんざい!!」「なきむし一家」「怪物一家」「サルばかガードマン」「おでんクシの助」「へんな子ちゃん」「地球はせまくてすみあきた!!宇宙へニゲロ!」「大あばれアパッチ君」「ボクシング一家」「聖ハレンチ女学院」「風雲もーれつ城」「日立ゴールドくん」「もてもて一家」「ナーンセーンス〜」「ナンでも見てやろう」「脱獄ナンセンス」「たき火」「吸血鬼ドメキュラ」「トキワ荘物語」「これがギャグだ!!」「彼女がほしい!!」「ウンコールワット」「ココロのボス」「独裁者」「禁じられた恋」「アニマルランド」「やっぱり母ちゃん」「かくれジャイアンツ」「チビ太とニャロメとアッコちゃん」「ラーメン大脱走」「イヤミの電気屋さん」「シェー教の崩壊」「お正月ざんす」「たまごっちなのだ!!」「イヤミの敬老の日」などがある。これらは、連載作品以上に、ほんの僅かな一部に過ぎない。

上述した通り、そのタレント性を活かし、多くのメディアにおいても活躍した。出演したバラエティ番組・クイズ番組・お笑い番組・歌番組・報道番組などの一部を挙げると、「まんが海戦クイズ」「アップダウンクイズ」「あつまれ!クイズショー」「ウォー!コント55号」「もうひとつの甲子園」「連想ゲーム」「歌謡ヒットプラザ」「スタジオ102」「歌のグランドショー」「ニュースハイライト」「クイズダービー」「すばらしき仲間」「今夜は最高!」「欽ちゃんの新春爆笑仮装コンテスト!」「ニャロメのおもしろ数学教室」「ミエと良子のおしゃべり泥棒 」「笑っていいとも!」「おはよう!ナイスデイ」「JNNニュースの森」「驚きももの木20世紀」「ダウンタウン汁」「夕食ばんざい」「ルックルックこんにちは」「ミュージックバード」「ダウンタウンのごっつええ感じ」「24時間テレビ」「美と出会う」「こだわり人物伝」「日本人として知っておくべき戦後の51人」「美と出会う」など。

また、映画やテレビドラマへの出演も果たしており、その作品には、「下落合焼とりムービー」「春男の翔んだ空」「ルパン VS 複製人間」「はだしのゲン」「水のないプール」「未来の想い出・Last Christmas」「月曜ドラマランド・おそ松くん」「これでいいのだ」「コメディー公園通り・愛一つ恋五つ」などがある。

その他、「三洋電機」「小学館」「ニッカウヰスキー」「ゼブラ」「ニッスイ」「スポーツニッポン新聞社」「丸美屋」といった数々の著名企業におけるテレビCMなどでも活躍した。

受賞歴に、日本漫画家協会賞(文部大臣賞)、文藝春秋漫画賞、小学館漫画賞、東京国際アニメフェア功労賞など、多数。

2016年には、当人の生誕80周年を記念し、その生涯を描いたドキュメンタリー映画「マンガをはみだした男・赤塚不二夫」が冨永昌敬監督・坂本雅司プロデュースで制作されている。

東京都文京区にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。72歳。晩年は、脳内出血を患うなど健康状態に悩まされ、2004年頃からは意識不明の持続的植物状態だったという。

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