粟津潔

(あわづきよし)
グラフィックデザイナー。紫綬褒章・勲四等旭日小綬章受章者。

東京都目黒区に生まれ、法政大学を中退後、1955年に日本宣伝美術会展(通称・日宣美)において日宣美賞を受賞。1960年には、黒川紀章菊竹清訓ら若手建築家や都市計画家が、社会の変革や人口の増加に伴って有機的な成長を実現する都市や建築を提案するために結成した「メタボリズム」に参加。以後、数々の作品を残すと共に、武蔵野美術大学商業デザイン学科の助教授、映画「心中天網島」における美術監督、つくば万国博覧会のテーマ館・アートプロデューサーなどの要職も歴任した。

主な作品に、横浜市営地下鉄ブルーライン・上大岡駅構内の「銀の海に金の亀」(1972年)を始め、「天井桟敷館」「津山文化センター中庭」「北陸自動車道・ピアパーク壁画」「日本文化デザイン会議・ポスター」など、多数。

主な著書に、「現代との対話 – 若き創造者へ」「デザインの発見」「造型思考ノート」「世界のグラフィックデザイン」「デザインに何が出来るか」「粟津潔のブック・デザイン」「ガウディ讃歌」「デザイン巡遊」「粟津潔の仕事」「象形文字遊行 – 文字始源」「粟津潔デザインする言葉」「不思議を眼玉に入れて」「マクリヒロゲル」「荒野のグラフィズム」「まるのおうさま」「すてたろう」など、多数。

神奈川県川崎市内にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。80歳。

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