井上ひさし

(いのうえひさし)
作家・小説家・放送作家・随筆家(エッセイスト)。「遅筆堂」(ちひつどう)、あるいは本名である「内山廈」(うちやまひさし)といったペンネームで活動することもあった。評論家・活動家である西舘代志子の元夫。文筆家で、元こまつ座代表でもある井上都、および株式会社劇団こまつ座代表取締役社長である石川麻矢の父。文芸・音楽・美術など主にアートやクリエイティブの世界で優れた功績を残した人物を顕彰するための国立アカデミーおよび栄誉機関である「日本芸術院」会員。文化功労者。

文筆活動に勤しみ、数々の作品を生み出す一方で、社団法人日本ペンクラブ会長、社団法人日本文藝家協会理事、日本劇作家協会理事などの要職を歴任。

放送作家として携わったテレビ番組・ラジオ番組作品には、「モグッチョチビッチョこんにちは」「ひょっこりひょうたん島」「ブンとフン」「ピュンピュン丸」「実写版・忍者ハットリくん」「ひみつのアッコちゃん」「アンデルセン物語」「國語元年」「月なきみそらの天坊一座」など、多数。

数々の著作のうち、随筆(エッセイ)には、「笑談笑発」「家庭口論」「ジャックの正体」「さまざまな自画像」「ことばを読む」「井上ひさしの世界」「自家製文章読本」「井上ひさしのコメ講座」「やあおげんきですか」「どうしてもコメの話」「ニホン語日記」「死ぬのがこわくなくなる薬」「宮沢賢治に聞く」「樋口一葉に聞く」「井上ひさしの農業講座」「太宰治に聞く」「菊池寛の仕事」「浅草フランス座の時間」「にほん語観察ノート」「井上ひさしの大連」「ボローニャ紀行」「映画をたずねて」「子どもにつたえる日本国憲法」「ふふふ」「ふふふふ」「井上ひさし全選評」「わが蒸発始末記」「ふかいことをおもしろく」「初日への手紙」などがある。

また、戯曲では、「日本人のへそ」「藪原検校」「十一ぴきのネコ」「天保十二年のシェイクスピア」「日の浦姫物語」「小林一茶」「唐来参和」「もとの黙阿弥」「吾輩は漱石である」「頭痛肩こり樋口一葉」「泣き虫なまいき石川啄木」「キネマの天地」「雪やこんこん」「イヌの仇討」「ある八重子物語」「シャンハイムーン」「夢の裂け目」「紙屋町さくらホテル」「イヌの仇討あるいは吉良の決断」「水の手紙」「円生と志ん生」「箱根強羅ホテル」「私はだれでしょう」「組曲虐殺」「ムサシ」「ロマンス」などがある。

童話や小説の分野では、「青葉繁れる」「モッキンポット師の後始末」「ブンとフン」「イサムよりよろしく」「ドン松五郎の生活」「新東海道五十三次」「偽原始人」「十二人の手紙」「ファザー・グース」「さそりたち」「喜劇役者たち」「吉里吉里人」「ライオンとソフトクリーム」「モッキンポット師ふたたび」「犯罪調書」「四捨五入殺人事件」「馬喰八十八伝」「野球盲導犬チビの告白」「四千万歩の男」「たそがれやくざブルース」「わが友フロイス」「百年戦争」「ナイン」「イソップ株式会社」「東京セブンローズ」「黄金の騎士団」「東慶寺花だより」「熱風至る」「一分ノ一」など。

そのほか、川西町立第一中学校、川西町立川西中学校 、釜石市立釜石小学校など、多数の学校の校歌における作詞を担当したり、「てんぷくトリオのコント」など、お笑い芸人が舞台などで披露するコントの台本を手掛けたりした。

主な受賞歴に、日本芸術院賞(恩賜賞)、岸田國士戯曲賞、鶴屋南北戯曲賞、芸術選奨新人賞、毎日芸術賞、直木三十五賞、朝日賞、読売文学賞(小説賞、戯曲賞)、菊池寛賞、谷崎潤一郎賞、日本SF大賞、星雲賞、吉川英治文学賞など、多数。

死因は、肺癌であった。75歳。1日に40本以上のタバコを吸うヘビースモーカーであり、「肺癌と喫煙は関係がない」との意見を貫いていたが、肺癌に罹っていることが発覚してからは、さすがに禁煙したという。しかしながら治療の甲斐なく、発覚から約半年後に亡くなった。

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