漫才師。「あした順子・ひろし」のコンビでボケを担当。結成当時は、「北ひろし」(きたひろし)の芸名で活動していた。一般社団法人落語協会、および一般社団法人漫才協会に所属。
1922年、東京市下谷区(現在の東京都台東区)生まれ。演劇の端役や映画製作の雑用係などを務めながら生活したのち、1960年、あした順子(結成当時は「南順子」(みなみじゅんこ))とコンビを組み、「あした順子・ひろし」を結成。浅草演芸ホールを始め、数々の舞台などで活躍する一方で、将棋の腕前もプロ級であったとの逸話もある。
あしたひろし 死因
死因は、老衰であった。93歳。晩年は舞台に上がることも少なくなり、体調に不安を抱えながら入退院を繰り返す生活を送っていたという。