北の湖敏満

(きたのうみとしみつ)
元大相撲力士。第55代横綱。日本相撲協会理事長。現役時代は、幕内通算で24回の優勝を誇り、「昭和の大横綱」と呼ばれるほどの名横綱としてその名を馳せた。本名は小畑敏満(おばたとしみつ)。俳優である北斗潤の父。

1953年、北海道有珠郡生まれ。恵まれた体格によって早くから相撲関係者の注目を集め、中学時代に三保ヶ関部屋へ入門。1967年、13歳7ヶ月にして初土俵を踏む。1972年に18歳で新入幕を果たし、翌1973年に19歳で小結に昇進。さらに同年、関脇へと昇進。翌1974年の1月場所で14勝1敗の成績を残して大関に昇進すると、7月場所後の横綱審議会で横綱への推薦が決まり、21歳2ヶ月という当時最年少の記録で横綱となった。

横綱時代は度重なる優勝を経験し、「憎らしいほど強い横綱」と呼ばれるほどの一時代を築き上げた。また、最高のライバルであった先輩横綱の輪島とは名勝負を繰り広げ、両巨頭が活躍する時代を称して「輪湖時代」(りんこじだい)などと呼ばれた。後年は怪我にも悩まされ、1985年1月場所を最後に現役を引退。幕内での通算成績は、78場所に在位し、804勝247敗、107休。優勝回数は上述の通り24回、敢闘賞1回、殊勲賞2回。

引退後は、日本相撲協会において審判委員、監事(現在の副理事)、審判部副部長などを経て、1996年に理事に昇格。さらに事業部長を経て、2002年に理事長(第9代)に就任した。

北の湖敏満 死因

福岡県福岡市にある病院にて死去。死因は、直腸癌による多臓器不全であった。62歳。2015年の11月場所が行われている最中、貧血により病院に救急搬送されたことが報じられていたが、すぐに複数メディアにて死去したことが報じられた。日本相撲協会理事長が現職のまま亡くなるのは2人目、本場所中に亡くなるのは史上初めてのことであった。

タイトルとURLをコピーしました