野坂昭如

(のさかあきゆき)
作家・小説家・エッセイスト・タレント・作詞家・政治家。直木賞受賞者。代表的な作品に、「火垂るの墓」「アメリカひじき」などがある。作家として数々の作品を執筆する傍らで、歌手や作詞家、政治家(参議院議員)としても活躍していた。作詞家としては、童謡「おもちゃのチャチャチャ」や、静岡県伊東市にあるホテル「ハトヤ」のCMソングなどの作詞で有名。ジャンルを問わず、テレビ・ラジオなど様々なメディアにも登場していたが、2003年に脳梗塞で倒れてからは執筆活動を中心に行っていた。

1930年、神奈川県鎌倉市生まれ。1945年の神戸大空襲で養父を亡くすなど戦争の苦難を経験したのち、1950年に上京し早稲田大学に入学。卒業後、1957年に放送作家として活動を始め、作詞家としても上述の「おもちゃのチャチャチャ」などを作っていった。作家デビューは1963年、33歳のときに発表した長編小説「エロ事師たち」であった。

発表した主な小説には、上述したデビュー作「エロ事師たち」を始め、「とむらい師たち」「八方やぶれ」「アメリカひじき・火垂るの墓」「騒動師たち」「真夜中のマリア」「エロスの妖精たち」「エロトピア」「砂絵呪縛後日怪談」「俺はNOSAKAだ」「マリリン・モンロー・ノー・リターン」「酒呑童子」「乱離骨灰鬼胎草」「行き暮れて雪」「名前のない名刺」「少女M」「ひとでなし」「死刑長寿」「野坂昭如ルネサンス」「野坂昭如単行本未収録小説集成」「とむらい師たち」「終末処分」など、多数。

エッセイなどの他作品(共著・編著を含む)では、「弱者の悪知恵 – イヤな奴をけっとばそう」「立ち読み厳禁の書」「これがプレイ・ボーイだ」「男の狂化書」「いじわる紳士」「野坂昭如エッセイ集(シリーズ)」「野坂昭如雑文の目」「子噛み孫喰」「親はあっても子は育つ」「四畳半襖の下張・裁判」「堕ち滅びよ驕奢の時代」「敵陣さらに深く」「女わざ・男わざ」「日日の疾走」「我が闘争 – 虚仮のうわぬり」「我が闘争 – 虚仮のこだわり」「ノーサイドの笛を聞くまえに」「愉しみかたの流儀」「ア・ドリブ問答」「我が闘争 – さはさりながら大奮戦」「もういくつねると」「還暦まで千人斬り」「わが桎梏の碑」「生きろ、生きてみろ」「わが世の春が来る」「大養生 – あれこれ思うこと」「後藤田正晴における責任のとりかた」「最後の林檎」「野坂昭如エッセイ・コレクション」「マスコミ漂流記」「農を棄てたこの国に明日はない」「刑法改正を考える」「プレイボーイ入門」「君は日本をどうするか」「生きかたの流儀」「マルクスを読む」「科学文明に未来はあるか」「あえてわれらドン・キホーテ」「ナマ麦、ナマ米、ナンマイダ」「世なおし直訴状」「いまこそ私は原発に反対します。」「けむりの居場所」「教えてください。野坂さん」など。

歌手として発表したシングル曲には、「ポー・ボーイ」「マリリン・モンロー・ノー・リターン」「サングラスの男とビキニの女が長い長いアクビをしている時の唄」「おりん巡礼歌」「男坂・女坂」「赤と黒の哀歌」「通せば天国」など。

アルバムでは、「幻の名盤解放歌集」「野坂昭如のザ・平成唱歌集(シリーズ)」「分裂唄草紙」「武道館の野坂昭如」「躁と鬱」「分裂唄草紙」「不条理の唄」「絶唱!野坂昭如」「野坂昭如ライヴ総集編(シリーズ)」など。

そのほか、「恐怖劇場アンバランス」「幕末」「花は花よめ」「塀の中のプレイ・ボール」「日本の首領」「桜の樹の下で」などの映画や、「ビートたけしのTVタックル」「野坂昭如のブラックボックス」「男のスタジオ」「朝まで生テレビ」「野坂昭如のオールナイトニッポン」などのテレビ番組・ラジオ番組、「サントリーゴールド900(サントリー株式会社)」「キャビン85(日本専売公社:現在のJT・日本たばこ産業株式会社)」「ロートV40(ロート製薬株式会社)」「サンヨーレインコート(株式会社三陽商会)」といったテレビCMなどでも活躍した。

主な受賞歴に、冒頭で触れた直木賞(直木三十五賞)を始め、日本レコード大賞作詞賞、講談社エッセイ賞、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞、安吾賞新潟市特別賞など。

野坂昭如 死因

死因は、心不全であった。85歳。意識不明の状態に陥っているのを発見され病院に救急搬送されたものの、死亡が確認された。

タイトルとURLをコピーしました