サッカー指導者・元選手・実業家(オランダ)。アヤックスなどのクラブチームやオランダ代表などで活躍した、1970年代を代表する選手として世界的に有名。ポジションは、MF(ミッドフィルダー)、FW(フォワード)。バロンドール(欧州年間最優秀選手賞)にも3度選出されているほか、オランダ代表では同国をFIFAワールドカップ準優勝に導いている。ドイツの名選手であるフランツ・ベッケンバウアーなどと並ぶサッカー界の英雄。
1947年、オランダの首都アムステルダムに生まれ、10歳にして地元サッカークラブ・アヤックスの下部組織に入団するなど早くも頭角を現す。15歳のときにユースチームに昇格。16歳のときにトップチームに昇格し、プロ生活を開始した。以後、FCバルセロナ、ロサンゼルス・アズテックス、 ワシントン・ディプロマッツ、レバンテ・ウニオン・デポルティーバ(レバンテUD)、 ワシントン・ディプロマッツなど、スペインやアメリカのチームを渡り歩き、最終的には母国オランダのクラブチーム、フェイエノールト・ロッテルダムにて現役生活を終えた。引退後は、指導者として活動する傍ら、不動産事業や輸出入事業を営む「CBインターナショナル」を設立するなど、実業家としても活躍した。
現役時代の通算成績は、1964年から1984年までの約20年間に渡るクラブチーム生活にて、リーグ戦・カップ戦・国際大会を合わせて704試合に出場、389得点。オランダ代表としては、通算48試合に出場、33得点。
主な獲得タイトルや特筆すべき栄誉には、上述した3度に渡るバロンドール受賞を始め、オランダ年間最優秀選手賞(3回)、オランダ年間最優秀スポーツ選手賞(2回)、北米サッカーリーグ年間最優秀選手(1回)、ドン・バロン・アワード年間最優秀外国人選手(2回)、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)20世紀最優秀選手第2位、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)20世紀オランダ最優秀選手、UEFAジュビリーアウォーズオランダ最優秀選手など、枚挙に暇がない。
死因は、肺癌であった。68歳。2015年にスペイン・バルセロナの病院にて肺癌と診断されて以降、闘病生活を送りながら仕事に従事していた。亡くなる直前まで、オランダのメディアである「デ・テレフラーフ」にてコラムを書き続けていたという。