(ほりうちみつお)
政治家・実業家・企業経営者。元衆議院議員(10期)のほか、山梨県・静岡県・神奈川県を中心とするエリアにて数々の事業を展開する富士急行株式会社の会長も務めた。また、衆議院議員時代には、労働大臣や通産大臣、自由民主党総務会長、行政管理政務次官、総理府総務副長官などの要職を務めたことでも知られている。政治家(衆議院議員)・実業家・陸軍軍人であった堀内一雄の息子。所属政党は、自由民主党。勲一等旭日大綬章受章者。
慶應義塾大学を卒業後、箱根登山鉄道株式会社への勤務などを経て、富士急行株式会社に入社。企画課長や経理部長などを経て、1962年、32歳にして同社社長に就任した。その後、1976年の衆議院議員総選挙に出馬し、初当選を果たす。同期には、鳩山邦夫らがいた。1989年、宇野宗佑内閣総理大臣(当時)の下、労働大臣として初入閣を果たしたものの、1990年の衆議院議員総選挙では落選。3年後の1993年の同選挙で復活し、1997年、橋本龍太郎内閣総理大臣(当時)の下、通商産業大臣に就任した。以後、2009年の衆議院議員総選挙で民主党公認候補であった坂口岳洋に敗れるまで、衆議院議員を10期務めた。
上述した数々の要職のほか、「中部横断自動車道建設推進議員連盟」会長、「リニア中央新幹線建設促進国会議員連盟」会長、「大深度地下利用国会議員連盟」会長、「医療心理師国家資格を実現する国会議員の会」会長、「司法書士制度推進議員連盟」会長なども務めた。
著書に、「生産性の測定と適正分配」「例解経営分析実務」「設備投資の合理的方法」「自民党は殺された」「平成安国論」「人間の価値計算」などがある。
死因は、間質性肺炎であった。86歳。