(よねざわたかし)
政治家。元衆議院議員(9期)。旧民社党において、第8代委員長を始め、第5代政策審議会長、第7代書記長などを務めた。また、新進党においては、第2代幹事長や副党首、民主党においては、副代表、民社協会会長などを歴任した。そのほか、宮城県議会議員も2期務めている。
鹿児島県に生まれ、名門と言われるラ・サール中学校および高等学校を卒業後、京都府京都市に本拠を置く国立大学である京都大学に進学。卒業後、宮崎県議会議員などを経て、1976年に衆議院議員総選挙に旧宮崎1区より民社党公認で出馬、初当選を果たす。以後、衆議院議員を9期に渡って務めた。2005年の衆議院議員総選挙にて、大蔵官僚出身の中山成彬に宮崎1区で敗れ、比例復活も果たせず落選。政治家からの引退を表明することとなった。
著書(共著・編著を含む)に、「青雲の志遥かなり」「土地問題への提言とQ&A」「我、忸怩たる ―窮乏化する政治」などがある。
死因は、呼吸不全であった。76歳。