(おおしまやすのり)
元プロ野球選手(内野手、外野手)・監督・解説者。お笑い芸人で、お笑いコンビ「セパ」のメンバーである大島雅斗の父。
中日ドラゴンズや日本ハムファイターズで強打者として活躍し、本塁打王のタイトル獲得や2,000本安打達成などの実績を残した。その後、日本ハムファイターズの監督を務め、熱血漢の監督として知られていた。2006年に開催された第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、日本代表の打撃コーチに就任。当時、アメリカ・メジャーリーグのシアトル・マリナーズに所属していたイチロー選手を、準決勝の韓国戦で3番に据える案を王貞治監督に提案するなど(結果は6対0で完封勝ち)、日本が世界一の栄誉を獲得するために多大なる貢献を果たした。
現役時代の通算成績は、1971年から1994年まで24年間の稼働で、2,638試合に出場、8,105打数2,204安打、ホームラン382本、盗塁88、打率2割7分2厘。監督としては、2000年から2002年まで3年間の稼働で、413試合を采配、181勝225敗7引き分け、勝率4割4分6厘、最終成績Aクラス1回。
晩年は、癌を発症し、その闘病中には「がんでも人生フルスイング ”中高年ガン”と共に生きる患者と家族の教科書」という著書も残した。
死因は、大腸癌であった。70歳。