高橋ヨシ江

(たかはしよしえ)
元陸上競技選手。結婚後は「浜松ヨシ江」となった。公益財団法人日本陸上競技連盟(日本陸連)理事、同連盟女子委員長、中央大学陸上競技部助監督、同競技部監督、関東学生陸上競技連盟参与、各種陸上競技大会審判長などを歴任。

群馬県(上野国)の中央部にあった群馬郡東村出身。高校時代から陸上競技生活を本格的にスタート。1950年のインターハイ(全国高等学校総合体育大会)における女子走り幅跳びで5位入賞を果たすなど、早々に結果を残した。その実績が買われ、女子における大学進学率が極端に低かった時代にもかかわらず、中央大学から異例の入学依頼(スカウト)を受けて入学。

1953年(中央大学3年時)には、インターカレッジ(日本学生陸上競技対校選手権大会、通称インカレ)の女子走り幅跳びにおいて初優勝(記録は5m53cm)。翌1954年(大学4年時)には、フィリピン・マニラで開催されたアジア競技大会においても優勝(記録は5m68cm)し、金メダルを獲得するなど、一気に頭角を現した。また、4×100mリレーでも、インターカレッジで3連覇を成し遂げている。

大学時代の数々の栄光と実績を引っ提げ、1956年のオリンピック(オーストラリア・メルボルン大会)に女子走り幅跳び日本代表として出場。予選にて5m68cmという記録をマークしたものの、惜しくも敗退。決勝進出まであと2cmという僅差だった。

現役引退後は、母校である中央大学の陸上競技部などで指導者を務める一方、1989年には全日本マスターズ陸上競技大会で競技に復帰。57歳にして、M55日本新記録を打ち立てた。また、1993年から4年間に渡り、女性として初めて日本陸上競技連盟の理事を務めた。

死因は、脳梗塞であった。90歳。

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