(さかいくにお)
漫才師。松竹芸能所属。兄弟漫才コンビ「酒井くにお・とおる」の兄の方。自虐的なボヤキ漫才で有名。
岩手県水沢市(現在の奥州市)に5人兄弟として生まれ、くにお・とおるは4番目と5番目の男子である。兄であるくにおは、幼少時代より秀才ぶりを発揮したことで地元での評判も高く、岩手県立水沢高校を卒業後、東京教育大学に入学。在学中、浅草松竹演芸場でコントに魅了され、そこに出演していた「コント・コンビネーション」のリーダー、みなみ良雄(のちにさがみ良太と改名)の弟子となる。ほどなくして大学は中退した。弟のとおるとは別の道を歩んでいたものの、その後、偶然の再会をきっかけにコンビを組み、1970年に「コント・コマーシャル」としてデビュー。のちに「マンとマン」と改名し、さらに漫才中心の芸に転向することに伴って、「酒井くにお・とおる」に改名した。
主な受賞歴に、日本テレビ系列で放送されていた人気のお笑いオーディション番組「お笑いスター誕生」における銀賞を始め、NHK上方漫才コンテスト優秀敢闘賞、YTV上方お笑い大賞(金賞)、OBC上方漫才大賞などがある。
死因は、慢性虚血性心疾患であった。74歳。連絡が取れないことを心配した弟のとおるが自宅を訪れたところ、横になって亡くなっているのを発見した。