(たなかまるぜんしょう)
実業家・企業家。福岡玉屋・小倉玉屋の創業者である田中丸善八の息子。株式会社小倉玉屋・元社長。その他、北九州音楽協会会長・小倉茶道協会会長なども歴任した。
また、百貨店の経営者として街づくりに精を出し、西小倉地区再開発協議会を創設、会長に就任。西小倉駅の開業を実現するなど、地域の発展に貢献した。
さらに、音楽活動にも尽力し、自らウクレレやピアノを演奏する傍ら、九州厚生年金会館(現・北九州ソレイユホール)にパイプオルガンを設置するための寄付を募ったり、ライブハウスを兼ねたレストランを開業したりするなど、音楽を通じた街の活性化に力を注ぎ、皆に慕われる文化人として知られた。
死因は、誤嚥性肺炎であった。90歳。