指揮者(ロシア)。表記は「ユーリー・テミルカーノフ」あるいはフルネームで「ユーリー・ハトゥエヴィチ・テミルカーノフ」とされることも多い。旧ソビエト連邦の南部にあり、現在はカバルダ・バルカル共和国の首都であるナリチク出身。読売日本交響楽団・名誉指揮者。旭日中綬章受章者。
ロシアの港湾都市・サンクトペテルブルクに本拠を構える音楽大学「サンクトペテルブルク音楽院」や「レニングラード音楽院」で学び、1965年、同じくロシア・サンクトペテルブルクにあるオペラ・バレエの専用劇場「ミハイロフスキー劇場」にて指揮者デビューを果たす。
1966年のソビエト連邦における全国指揮者コンクールでは優勝を果たし、以後、レニングラード交響楽団首席指揮者、キーロフ劇場(現:マリインスキー劇場)音楽監督、サンクトペテルブルク・フィル(旧:レニングラード・フィル)音楽監督などを歴任。また、ロシアを代表する世界的な指揮者として、ドレスデン・フィルやロンドン・ロイヤル・フィルなど、各国の著名なオーケストラにおいて首席指揮者を務めた。2015年には、ロシアと日本の相互理解や、音楽を通した交流の促進に貢献した功績が評価され、旭日中綬章を受章。同年、読売日本交響楽団の名誉指揮者に就任。
日本でもたびたび公演しており、結果的に最後となってしまった2019年の来日では、チャイコフスキー・ショスタコーヴィチ・ブラームスなどの各交響曲を指揮。力強い演奏で高い評価を受けた。
死因などの詳細は明らかになっていない。84歳。晩年は、病気のために長きに渡って療養していたという。