朝潮太郎(4代)

(あさしおたろう)
元大相撲力士。元高砂親方。本名「長岡末弘」(ながおかすえひろ)。最高位は大関。「大ちゃん」の愛称で親しまれ、子供から大人まで幅広い層で大きな人気を博した。

近畿大学在学中の1976年及び1977年に、2年連続でアマチュア横綱・学生横綱の2タイトルを獲得。1978年春場所にて、高砂部屋より幕下付け出しで初土俵を踏んだ。幕下・十両共に2場所で通過するスピード昇進で話題を呼び、1983年春場所を終えたあとに大関昇進。1985年の春場所で、ついに初優勝を果たす。大関在位36場所を誇り、1989年春場所にて引退。豪快な突きと押しが得意手だった。

幕内での通算成績は、531勝371敗、33休、勝率5割8分9厘。在位は63場所だった。1度の優勝を始め、殊勲賞10回、敢闘賞3回、技能賞1回をそれぞれ獲得している。

また、「憎らしいほど強い横綱」とまで言われ、最強の名を欲しいままにした北の湖に強かったことでも知られており、横綱・北の湖戦の通算成績は13勝7敗と大きく勝ち越している上、6度に渡って初日からの連勝を止めている(北の湖が14勝1敗で優勝した際の1敗は、朝潮戦だったことも多い)。

引退後は、若松部屋の師匠を経て、2002年に7代高砂を襲名して高砂部屋を継承。自らが果たせなかった夢(横綱昇進)を弟子に託し、朝青龍を初土俵から僅か25場所で第68代横綱にまで育て上げた。一方で、日本相撲協会理事や審判部副部長(役員待遇委員)などの要職も歴任した。

2020年、65歳の定年に伴い師匠を退任。再雇用制度により日本相撲協会には参与として残るも、2021年6月に「新型コロナウイルス(COVID-19)対応ガイドライン」の違反により退職した。

東京都墨田区にある自宅にて死去。死因は、小腸癌であった。67歳。1年程前に同病を発症し、療養生活を送っていたという。

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