田淵義久

(たぶちよしひさ)
実業家・経営者・企業家。野村証券株式会社(現・野村ホールディングス株式会社)元社長。

1956年、早稲田大学を卒業し、野村證券に入社。いくつかの店舗で支店長を経験したあと、1977年に取締役に就任。常務取締役・専務取締役・副社長を経て、1985年、53歳でトップである社長に登り詰めた。低金利の影響もあって投資資金に沸く株式市場において、東京証券取引所の時価総額が世界一となるといったバブル経済の波に乗り、1987年にはトヨタ自動車を抜いて4,937億円という日本一の経常利益を叩き出すなど、ガリバーと呼ばれた同社を牽引した。

しかしながら1991年、バブル経済の終焉と歩を合わせるように、証券会社大手各社による大口投資家への損失補填問題が明らかとなり、暴力団との取り引き発覚とも相まって、社長を引責辞任。株主総会では、当時の大蔵省が損失補填を承認していたといった旨の発言(新社長により撤回)により、物議を醸したこともあった。1995年には取締役に復帰するも、総会屋への利益供与が発覚し、再び辞任。

その他、経済団体連合会副会長、SBI子ども希望財団理事長なども務めた。

死因は、肺炎であった。91歳。

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