(さくらいきじゅん)
政治家・元参議院議員。所属政党は、日本社会党を経て、社会民主党。なお、「桜井規順」と新字体で表記されることも多い。本名は同漢字表記で、「さくらいのりよし」。
静岡高等学校を卒業後、日本社会党での党員活動を経て、1989年、参議院議員通常選挙に出馬、初当選を果たす。なお、当初は日本社会党公認候補だったが、途中駅の三島駅を通過するはずの東海道新幹線「ひかり」を同駅に臨時停車させるという騒動を起こし、公認を取り消されたため、無所属での当選となっている。任期満了に伴い、1995年の参議院議員通常選挙に再び出馬したが、落選。1期のみの議員生活に終わった。
議員時代には、参議院「産業・資源エネルギーに関する調査会」会長、参議院・運輸委員会理事などを歴任した。議員引退後は、社会民主党・静岡県連合代表を務めた。
著書に、「静岡県と「満州開拓団」」「わが知のへるめすへ」など。
静岡県静岡市にある病院にて死去。死因は、腎不全であった。88歳。死去の事実は、2週間程度が経過したのちに明らかとなった。