嘉瀬誠次

(かせせいじ)
花火師。新潟県長岡市にて毎年8月1日から3日にかけて行われる「長岡まつり」の花火大会において、最初にあがる慰霊の花火「白菊」の生みの親として知られる伝説の花火師。なお、長岡まつりの花火大会は、日本三大花火大会の1つに数えられている。

花火師の家系に生まれ、1936年、14歳のときに、父親である嘉瀬誠喜氏が営む嘉瀬煙火工業に入社、3代目として花火師の道を歩み始める。その後、第二次世界大戦に出兵し、終戦後も3年間シベリアに抑留された。そこで多くの戦友を失った慰霊の思いを込め、平和と鎮魂を祈る花火として製作したのが「白菊」である。

そのほか、巨大な花火である「正三尺玉」や、滝のように火が流れ落ちる「ナイアガラ」など、多くの人を魅了する数々の花火を生み出した。1983年には、世界初と言われている「正三尺五寸玉」を打ち上げた。また、その活躍は日本国内に留まらず、1990年にはロシア・ハバロフスクでも亡くなった戦友たちに向けて「白菊」を打ち上げた。さらに、1995年の阪神淡路大震災に伴い、翌1996年に兵庫県神戸市において1,000発に上る花火を打ち上げ、復興を祈った。

2004年に現役を引退。その人生はまさに花火一筋であり、花火は自分の命であったと自ら語っていた。

受賞歴に、新潟日報文化賞(2002年)、新潟県知事表彰(観光振興功績、2011年)、長岡市民大賞(2016年)、吉川英治文化賞(2016年)など。

新潟県長岡市下々条町にある自宅にて死去。死因は、老衰であった。101歳。

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