神山清子

(こうやまきよこ)
陶芸家。日本の女性陶芸家における草分け的存在として有名。長崎県佐世保市出身。

かつて滋賀県南東部の甲賀地方に存在し、陶磁器の信楽焼で有名な甲賀郡信楽町(現在の甲賀市信楽町)を拠点に活動し、「信楽自然釉」の振興に取り組んだほか、白血病など血液疾患の治療のために骨髄液などを患者に斡旋する「骨髄バンク」の設立にも尽力した。

陶器製造会社における絵付け工などへの従事を経て、1963年、27歳のときに独立して本格的に陶芸の道を歩み始める。ほどなくして釉薬を使用しない伝統的な信楽焼の1つである「自然釉」に魅了され、それを再現することに注力。3年ほどの苦労を経て見事に成功し、「信楽自然釉」の第一人者となった。また、同じく陶芸家の息子が慢性骨髄性白血病に罹り、自らドナー探しに奔走したものの2年後に帰らぬ人となってしまった悲しみを味わったことから、骨髄液などを斡旋する「骨髄バンク」の立ち上げにも尽力。「滋賀骨髄献血の和を広げる会」の代表も務めた。その半生は、NHK連続テレビ小説「スカーレット」でヒロインを描く際の参考とされたほか、2005年には映画「火火(ひび)」(監督:高橋伴明、主演:田中裕子)にもなっている。

また、息子との闘病生活などを描き、上述した映画「火火」の原作にもなった書籍として、児童文学作家である那須田稔とその妹である岸川悦子が著した「母さん子守歌うたって ~寸越窯・いのちの記録」がある。そのほか、その半生を描いた伝記的小説として、那須田稔の息子である作家・小説家の那須田淳が著した「緋色のマドンナ 陶芸家 – 神山清子物語」などがある。

死因は、肺癌であった。87歳。2ヵ月ほど前より体調を崩して入院していたものの、数週間ほど前までは元気な姿を見せていたという。本人が以前から望んでいた通り、ご遺体はご子息と同様に滋賀県大津市にある滋賀医科大学に献体された。入院中は、甲賀市長である岩永裕貴氏もお見舞いに訪れたほか、訃報に対して哀悼のコメントを発表している。

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