鷲見禎彦

(すみよしひこ)
実業家・企業家。1957年に設立され、茨城県那珂郡東海村と福井県敦賀市に原子力発電所を持つ電気事業者「日本原子力発電株式会社」元社長。大阪府大阪市に本店を構え、電気販売量で国内トップクラスの実績を誇る「関西電力株式会社」(通称:関電、KEPCO)元副社長。抽象画家である鷲見康夫の弟。旭日重光章受章者。

1930年、滋賀県に生まれ、京都大学を卒業後、1953年に関西電力入社。副支配人中央送変電建設事務所長、福井原子力事務所長などを経て、取締役に。その後、常務取締役、専務取締役と昇進し、最終的に副社長に就任したのち、1999年に日本原子力発電の代表取締役社長に転じる。2004年6月まで社長を務め、以後は同社相談役に退いた。社長の在任中は、敦賀発電所3・4号機の増設計画などに尽力。社長退任後の2004年7月より、敦賀発電所3・4号機建設準備の工事が開始された。

死因は、老衰であった。93歳。死去の事実は、葬儀などが近親者によって済まされたのち、亡くなって10日ほどが経過してから明らかとなった。

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