吉井正澄

(よしいまさずみ)
政治家。元熊本県水俣市長。四大公害病の1つである水俣病を巡り、歴代市長として初めて患者・犠牲者に公式に謝罪した人物として有名。旭日小綬章受章者。

1931年、熊本県葦北郡久木野村(現在の水俣市)生まれ。県立芦北農林高等学校を卒業後、自営業などを経て、1975年、水俣市議会議員に立候補、初当選を果たす。以後、2期に渡って市議会議長に就任していたのを含め、通算で5期市議会議員を務めた。そのほか、自民党水俣市支部長、全国市議会議長会公害対策特別委員長なども歴任。

1994年、水俣市長選挙に自民党の推薦により出馬し初当選、第13代の水俣市長に就任した。同年5月に行われた水俣病犠牲者慰霊式では、「市当局として、犠牲になった方々に十分な対策を取り得なかった」として公式に謝罪。以後、水俣病を教訓として「新しい水俣」や「環境モデル都市」を謳うなど、環境問題に力を入れた。2002年、2期務めた水俣市長を退任。

退任後は、環境問題や水俣病などをテーマとした講演を全国各地で行っていたほか、2005年から2006年にかけては小池百合子環境大臣(当時)の下で私的懇談会である「水俣病問題に係る懇談会」の委員も務めた。

主な著書に、「議員人生あれこれ」「続・議員人生あれこれ」「愛しています水俣」「奈落の舞台回し」「離礁:水俣病対策に取り組んで」「気がついたらトップランナー」「じゃなかしゃば – 新しい水俣」などがある。

主な受賞歴に、環境保全功労者環境大臣表彰、地球温暖化防止活動環境大臣表彰、毎日・地方自治大賞特別賞など。

熊本県水俣市内にある病院にて死去。死因は、横行結腸癌であった。92歳。

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