槇文彦

(まきふみひこ)
建築家・一級建築士。芸術のあらゆる分野において特筆すべき実績を残した芸術家を顕彰するための国立アカデミー「日本芸術院」の会員。文化功労者。紫綬褒章・旭日中綬章受章者。

世界的な建築家として、東京都の「代官山ヒルサイドテラス」や、千葉県にある「幕張メッセ」、アメリカ同時多発テロの現場跡地に建設された「フォー・ワールド・トレード・センター(4ワールドトレードセンターなどとも表記)」などを設計したことで有名。なお、メディアでの漢字表記は「槙文彦」とされることも多い。

1928年、東京都に生まれ、慶應義塾大学中退を経て、東京大学工学部建築学科に入学。卒業後はアメリカに留学し、ハーバード大学デザイン大学院やクランブルック美術学院などで学んだ。その後、ワシントン大学やハーバード大学で准教授を務めたのち、1965年に帰国して槇総合計画事務所を設立。1979年には東京大学で教授に就任し、1989年まで務めた。

機能性を重視するモダニズムの世界観溢れる建造物で知られており、芸術選奨文部大臣賞や日本建築学会賞など、数多くの賞を受賞。1993年には、建築界におけるノーベル賞と言われているプリツカー賞(アメリカ)も受賞した。

そのほかの受賞歴には、毎日芸術賞、日本芸術大賞、アメリカ建築家協会R.S.レイノルズ賞、シカゴ建築賞、トーマス・ジェファーソン建築賞、朝日賞、ハーバード大学・プリンスオブウェールズ都市デザイン賞、高松宮殿下記念世界文化賞、村野藤吾賞、アーノルド・ブルナー記念建築賞、横浜文化賞など、枚挙に暇がない。

主な建築作品には、上述した「代官山ヒルサイドテラス」「幕張メッセ」「フォー・ワールド・トレード・センター」を始め、「セントルイス・ワシントン大学スタインバーグホール」「千葉大学医学部記念講堂」「大阪臨海センタービル」「千里中央地区センタービル」「国際聖マリア学院」「大阪府立臨海スポーツセンター」「在ブラジル日本大使館」「トヨタ鞍ヶ池記念館」「コタキナバル・スポーツコンプレックス」「ジュン・アシダ・サロン」「横浜市立川和中学校」「虎ノ門NNビル」「京都クラフトセンター」「ガーデンプラザ広尾」「セダ・ストーン・ヴィラ」「慶應義塾大学・大学院棟」「津田ホール」「富山市民プラザ」「神奈川大学16号舘」「マキ・ソリティア」「福島県男女共生センター」「富山国際会議場」「ロレックス東陽町ビル」「横浜アイランドタワー」「東京大学法学系教育棟」「三原市芸術文化センター」「ロレックス中津ビル」「MITメディアラボ新館」「町田市役所」「静岡市清水文化会館」「51アスタープレイス」「シンガポール・メディアコープ」「刀剣博物館」「深圳海上世界文化芸術中心」など、多数。

著書に、「見えがくれする都市」「現代の建築家槇文彦」「記憶の形象」「槇事務所のディテール」「残像のモダニズム」「漂うモダニズム」「アーバニズムのいま」「建築から都市を、都市から建築を考える」など。

死因は、老衰であった。95歳。

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