(つかはらちえこ)
体操指導者・元体操選手。1968年に開催されたメキシコシティーオリンピックに女子体操代表として出場し、以後、長きに渡って女子体操界を牽引してきたことで知られている。オリンピック3大会(1968年メキシコシティー、1972年ミュンヘン、1976年モントリオール)で金メダルを獲得した同じく元体操選手である塚原光男の妻。2004年アテネオリンピックの男子体操団体にて金メダルを獲得した同じく元体操選手である塚原直也の母。旧姓小田(小田千恵子)。
1947年、長崎県生まれ。日本体育大学在学中の1967年、全日本学生体操競技選手権大会において個人総合優勝を果たし、一躍脚光を浴びる。同年の夏季ユニバーシアード(現在のワールドユニバーシティゲームズ)でも団体での金メダル獲得に貢献。翌1968年には、上述の通りメキシコシティーオリンピックに出場し、団体で4位入賞、個人総合で19位という成績を残した。さらに翌年の1969年、NHK杯体操選手権、全日本学生体操競技選手権大会、全日本体操競技選手権大会ですべて優勝。1972年に惜しまれながら現役を引退した。
引退後は「月面宙返り」でも有名な夫の塚原光男氏とともに指導者となり、名門であった朝日生命体操クラブ(2022年度限りで撤退)の選手育成や、オリンピック体操チームのコーチを務めるなどした。そのほか、日本体操協会強化本部長、北京オリンピック女子代表監督、塚原体操センター副校長なども歴任。2018年には、女子選手より塚原夫妻の指導に対してパワハラであるとの訴えがなされ、夫妻の職務一時停止処分が下されるなど騒動に発展したが、日本体操協会の第三者委員会により、最終的には違法性を帯びたパワハラ行為は認められなかったとの結論が導かれた。
著書に、「熱中夫婦ここにあり!体育館は道場だ」「女子体操競技入門」「塚原家の金メダル」「ビューティー・コア・ストレッチ」など。
塚原千恵子 死因
死因は病気とされているが、病名などの詳しい情報は明らかになっていない。77歳。死去の事実は、亡くなって1ヶ月半以上が経過した10月下旬に明らかとなり、各メディアによって報道された。