政治家・学者(ペルー)。元ペルー大統領(第54代)。日系人として世界で初めて大統領に就任し、1996年12月に発生した日本大使公邸占拠事件の武力解決に尽力したことで有名。同じく政治家で、共和国議会議員だったスサーナ・ヒグチの元夫。やはり政治家で、実業家でもあるケイコ・フジモリ、およびケンジ・フジモリの父。フルネームは「アルベルト・ケンヤ・フジモリ・イノモト」。日本名は「藤森 謙也(旧姓)」「片岡 謙也」。
1938年、ペルーの首都リマにあるミラフロレス区生まれ。両親は日本の熊本出身で、ペルーに渡った移民。ラ・モリーナ国立農科大学の大学院を修了後、同大学の教授、理学部長、総長を経て、1990年の大統領選挙に出馬。初当選を果たし、世界初の日系人大統領となる。1996年12月の在ペルー日本大使公邸人質事件の際には、テロ組織に対して毅然とした態度で臨み、武力解決へとつなげた。しかしながらその後、側近の汚職事件などを始めとした政権の腐敗が進み、2000年11月より日本へ事実上亡命、国会にて罷免された。2005年9月、大統領選への再出馬のために日本を離れてペルーの隣国であるチリに入国したところを拘束され、2007年9月に身柄をペルーへと引き渡される。2010年1月、大統領在任中のペルー軍による市民虐殺事件を指揮したとして禁固25年の有罪判決が確定し、収監。健康状態の悪化により入退院を繰り返しながら、恩赦による釈放・再収監を経て、2023年12月に4年ぶりとなる釈放の措置を受けていた。
著書に、「30世紀へのメッセージ」「アルベルト・フジモリ、テロと闘う」「大統領への道」「日本はテロと戦えるか」など。
死因は、癌であった。86歳。娘であるケイコ・フジモリ氏がSNSにて発表したところによれば、癌のために長い闘病生活を送っていたという。