元プロ野球選手・監督・指導者。メジャーリーグベースボール(MLB)における通算最多安打記録(4,256安打)を始め、最多試合出場記録や200安打最多記録などを保持していることで有名。日本のイチロー選手がMLBで10年連続200安打を記録した際など、節目節目で話題に上り、メディアに登場していたことでも知られる。「チャーリー・ハッスル」(ハッスル坊や)や「ヒットキング」などの愛称で親しまれた。
1941年、アメリカ合衆国中西部にあるオハイオ州・シンシナティ生まれ。1960年、ナショナルリーグ中地区所属のシンシナティ・レッズに入団、1963年にメジャーデビューを果たし、新人王を獲得した。その後も首位打者を3度獲得するなど、巧みな技術を持つ両打ち打者として安打を量産。1973年には最優秀選手(MVP)に輝いたほか、フィラデルフィア・フィリーズ(1979~1983年)、モントリオール・エクスポズ(1984年)、シンシナティ・レッズ(復帰、1984~1986年)と渡り歩く中で、3度のワールドシリーズ優勝も経験。オールスターゲームには、実に17回も選出されている。1984年、シンシナティ・レッズに復帰した際より、選手兼任として監督も務めていたが、1989年、野球賭博に関わったとしてMLBより永久追放処分を受けて退任した。
選手時代の通算成績は、1963~1986年の24年稼働で3,562試合に出場、14,053打数4,256安打、ホームラン160、盗塁198、打率3割0分3厘。
獲得した主なタイトルや栄誉に、上述した新人王や3度の首位打者、最優秀選手を始め、シルバースラッガー賞、ルー・ゲーリッグ賞、ハッチ賞、ロベルト・クレメンテ賞、ゴールドグラブ賞、プレイヤー・オブ・ザ・マンス(6度)など、多数。
著書に、「挑戦する624人の大リーガー」など。
死因などの詳細は明らかになっていない。83歳。