(やまふじしょうじ)
イラストレーター・似顔絵作家・風刺漫画家。様々なタレントや著名人を登場させながら世相を風刺する画風で「現代の戯れ絵師」と呼ばれ、人気を博した。紫綬褒章受章者。
1937年、東京府東京市(現在の東京都目黒区)に生まれ、1957年に武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)に入学。日本宣伝美術会展において特選を獲得するなど絵画やデッサンの世界で早くも頭角を現す。その後、株式会社ナショナル宣伝研究所に入社し、デザイナーとして活動。広告電通賞制作者賞(ダイレクトメール部門、ポスター部門)や東京アートディレクターズクラブ賞銅賞(新聞部門)など、数々の栄誉を受賞。同社を退社してフリーとなったあとも文藝春秋漫画賞や講談社出版文化賞さしえ賞など、多くの賞に輝いた。
1976年より、朝日新聞社発行の週刊誌「週刊朝日」にて「山藤章二のブラック・アングル」を連載。パロディー画や風刺画が大きな話題となり、「週刊朝日を最終ページから開かせる男」という異名を取るほどであった。同連載は45年に渡って継続。また、1981年より開始された同誌の「山藤章二の似顔絵塾」も、40年に渡って連載された。そのほか、産業経済新聞社(産経社)の夕刊紙「夕刊フジ」における百回連載エッセーのイラストなども担当した。プロ野球チーム・阪神タイガースの熱烈なファンとしても知られ、同チームに関連したイラストも数多く生み出した。
著書(編著・共著を含む)に、「イラスト紳士録」「戯画街道」「軟派にっぽんの100人」「イライライラストレーション」「対談「笑い」の構造」「ブラック=アングル10年ベスト&オール」「人間ころがし」「アタクシ絵日記」「山藤章二のブラック・アングル25年」「山藤章二の顔事典」「器用貧乏」「まあ、そこへお坐り」「世間がヘン – 山藤章二のずれずれ草」「論よりダンゴ」「自分史ときどき昭和史」「ヘタウマ文化論」「山藤章二の四行大学」「昭和よ。」「新東海道五十三次」「はじめての八十歳」「チャンネルの5番」「重箱の隅」「にんげん百一科事典」「つかへい犯科帳」「タイガース優勝したらどうしよう」「芸人お好み弁当」「山藤章二の似顔絵塾」「ぼけせん川柳三〇〇〇句」「駄句だくさん」など、多数。
また、「象印クイズ・ヒントでピント」「ブロードキャスター」「ゲーム数字でQ」などのテレビ番組や、「志の輔ラジオ 気分がいい!」「デイ・キャッチ!」「新・話の泉」といったラジオ番組など、メディア出演も多数。松下電器産業株式会社(現・パナソニック)のテレビCMでも活躍していた。
死因は、老衰であった。87歳。