西田敏行

(にしだとしゆき)
俳優・歌手・タレント。長年に渡って様々なメディアで活躍し、老若男女を問わず幅広い人気を集めた日本の代表的な役者として有名。紫綬褒章・旭日小綬章受章者。

1947年、福島県郡山市生まれ。演技に興味を持ち、中学を卒業後に上京。明治大学付属中野高等学校から明治大学へと進学し、日本演技アカデミーの夜間部に入る。1967年、連続テレビドラマ「渥美清の泣いてたまるか」への出演により俳優デビュー。その後、大学を中退して1970年に劇団青年座へ入団し、同年7月の公演「情痴」にて初舞台を踏む。1970年代後半からはテレビへの出演が注目されるようになり、以後、舞台を始めテレビ・映画など多方面で活躍した。

歌手としても精力的に活動し、1981年に発売された「もしもピアノが弾けたなら」は、自身が主演のテレビドラマ「池中玄太80キロ」の主題歌にもなり、大ヒットを記録。さらにタレント、司会者など活躍の場は幅広く、日本放送協会(NHK)が主催する年末恒例の大イベント「紅白歌合戦」において、歌手、司会者、審査員、応援、さらにはナレーションという5パターンのすべてで出演経験がある唯一の人物となっている。一方で、協同組合日本俳優連合(日俳連)の理事長を始め、日本アカデミー賞組織委員会副会長などの要職も歴任。

出演した主なテレビドラマには、上述したデビュー作「渥美清の泣いてたまるか」や、主演を務めた「池中玄太80キロ(シリーズ)」を始め、「八代将軍吉宗」「翔ぶが如く」「国盗り物語」「西郷どん」「チョッちゃん」「北の家族」「あんたがたどこさ」「雲を翔びこせ」「高原へいらっしゃい」「港町純情シネマ」「サンキュー先生」「西田敏行の泣いてたまるか」「猫、ふんじゃッた!」「竜馬がゆく」「宮本武蔵」「がんばらない」「すっから母さん」「白い巨塔」「タイガー&ドラゴン」「華麗なる一族」「こちら葛飾区亀有公園前派出所」「BOSS」「うぬぼれ刑事」「ゴーイングマイホーム」「おやじの背中」「ドクターX 〜 外科医・大門未知子 ~(シリーズ)」「信長協奏曲」「アイムホーム」「オリエント急行殺人事件」「天才バカボン」「俺の家の話」「さよならマエストロ 〜 父と私のアパッシオナート 〜」「終りに見た街」など、枚挙に暇がない。

出演した主な映画には、「釣りバカ日誌(シリーズ)」を始めとして、「沖田総司」「はなれ瞽女おりん」「悪魔が来りて笛を吹く」「ロケーション」「刑事物語」「虹をつかむ男」「学校」「陽はまた昇る」「ゲロッパ!」「植村直己物語」「悪魔が来りて笛を吹く」「THE有頂天ホテル」「アウトレイジ(シリーズ)」「椿山課長の七日間」「ラーメンガール」「大怪獣のあとしまつ」「あさひるばん」「マエストロ!」「ギャラクシー街道」「任侠学園」「劇場版ドクターX FINAL(遺作)」など、こちらも多数。

歌手として発表したシングル曲には、上述の大ヒット作「もしもピアノが弾けたなら」のほか、「いもうと」「木綿の愛情」「シンデレラ・マーチ」「いい夢みろよ」「淋しいのはおまえだけじゃない」「想い出の舞台装置」「二番目に云いたいこと」「冷たくしないで」「旅立たずにはいられない」「空に星があるように」「とりあえずは元気で行こうぜ」「まーるく生きてみませんか」「バトンタッチ」などがある。

そのほか、「どらまないと」「明治の柩」「悲喜劇おんな系図」「盟三五大切」「欲望という名の電車」「からゆきさん」「つくづく赤い風車」「屋根の上のヴァイオリン弾き」「リセット」などの舞台や、「新日曜名作座」「青春アドベンチャー」「パックインミュージック」などのラジオ番組、「西田敏行・桜田淳子のもちろん正解」「ドリフ大爆笑」「いい加減にします!」「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」「今夜は最高!」「探偵!ナイトスクープ」「平成ふしぎ探検隊」「地球は僕らの宝島」「人生の楽園」「テレビ未来遺産」「輝く!日本レコード大賞」「思い出のメロディー」といったバラエティ番組・情報番組・歌番組、「ふとめん味助(日清食品株式会社)」「ネオソフト(雪印乳業株式会社)」「コイケヤポテトチップス(株式会社湖池屋)」「新・ユーキャンの通信講座(株式会社ユーキャン)」「ジャンボ宝くじ」といったテレビCMなどでも活躍した。

著書(共著を含む)に、「魅せられて石川県」「西田敏行地球愛である記」「しゃべって、人生」「バカ卒業 – 映画『釣りバカ日誌』のハマちゃん役を語ろう」「役者人生、泣き笑い」など。

主な受賞歴に、日本アカデミー賞(最優秀主演男優賞、優秀主演男優賞、優秀助演男優賞、会長功労賞)を始め、ブルーリボン賞(主演男優賞)、文化庁芸術祭賞(優秀賞)、日刊スポーツ映画大賞(主演男優賞、助演男優賞)、報知映画賞(最優秀主演男優賞)、山路ふみ子映画賞(文化財団特別賞)、日本シアタースタッフ映画祭助演男優賞、ヨコハマ映画祭特別大賞、紀伊國屋演劇賞などがある。

西田敏行 死因

東京都世田谷区にある自宅にて死去。死因は、虚血性心疾患であった。76歳。関係者が倒れているところを発見し、「ベッドで冷たくなっている」と通報したという。つい9日ほど前には、結果的に遺作となってしまった映画「劇場版ドクターX FINAL」の完成を伝える記者会見にて、主演の米倉涼子らとともに元気な姿を見せていたばかりだった。亡くなった当初は病死であると推測されていたものの詳しい死因などが分かっていなかったが、翌日になって所属事務所より病名が正式発表された。

2001年(53歳のとき)に頚椎症性脊髄症を罹患したほか、2003年(55歳のとき)には自宅にて急性心筋梗塞で倒れ、緊急入院したことがある。また、2016年(68歳のとき)には自宅のベッドから転落して頸椎亜脱臼した上、直後に胆嚢炎に罹るなど、健康状態に不安を抱える状態が続くこともあった。晩年は、車椅子や杖を使用する生活を送っていたという。

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