勝俣恒久

(かつまたつねひさ)
実業家・企業家。東京電力ホールディングス株式会社の第10代・代表取締役社長および、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)とそれに伴う津波により発生した福島第一原子力発電所事故当時(2011年3月)の代表取締役会長として知られている。教育者で、代々木ゼミナール創設者の1人でもある勝俣久作の息子。丸紅株式会社の元社長である勝俣宣夫の兄。新日本製鐵株式会社の元副社長で、九州石油元会長なども務めた勝俣孝雄、および日本道路公団の理事を務めた勝俣邦道、さらには東京大学名誉教授である歴史学者の勝俣鎮夫の弟。

1940年、東京府東京市(現在の東京都)生まれ。東京大学を卒業後、1963年に東京電力に入社。企画部企画課長、神奈川支店高島通営業所長、取締役企画部長、常務取締役などを経て、2002年に第10代の代表取締役社長に就任。以後、大手電力会社のトップとして電力自由化への対応などを手掛けながら、一方で日本原子力発電取締役、日本原燃株式会社会長、電気事業連合会会長、一般社団法人日本電気協会理事長、日本経済調査協議会理事長、社団法人日本経済団体連合会副会長副会長、公益財団法人日本科学技術振興財団理事など、数々の要職を歴任した。

2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の際には、津波対策を怠り、福島第一原子力発電所事故を発生させた上、避難に伴い近くの病院患者を死亡させたなどとされ、当時の経営陣2名と共に強制起訴されていた(2023年、東京高等裁判所が無罪を言い渡し、検察側が判決を不服として上告中)。

勝俣恒久 死因

死因などの詳細は明らかになっていない。84歳。死去の事実は、亡くなって10日ほどが経過してから東京電力ホールディングスにより発表された。

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