旭國斗雄

(あさひくにますお)
元大相撲力士・日本相撲協会理事。昭和時代に活躍した元大関・旭国(あさひくに)として知られる。立浪部屋に所属していた。現役時代には、加山雄三や麒麟児とともに、「サントリー純生」(サントリー株式会社)のテレビCMに出演するほどの人気を博した。本名は太田武雄(おおたたけお)。

1947年、北海道上川郡生まれ。中学校時代は野球部に所属していたが、助っ人として参加した相撲大会で優勝したことをきっかけに、1962年に立浪部屋へ入門。1963年の名古屋場所で初土俵を踏んだのち、1969年、同じく名古屋場所にて新入幕を果たす。以後、何度か十両への陥落という苦難を味わったものの、1972年ごろから幕内に定着。小結、関脇を経て、1976年の春場所で横綱・輪島との優勝決定戦に出場するほどの成績を残し、結果は敗戦だったものの大関に昇進した。当時最年長だった28歳11ヶ月での大関昇進は注目を集め、身長174cmという決して恵まれているとは言えない体格ながら、「ピラニア」の異名を取るほどの闘志溢れるしぶとい相撲はファンから大きな支持を得る。一方で、研究熱心な上、巧みな技を駆使する姿から、「相撲博士」とも呼ばれた。1979年の秋場所を最後に、惜しまれながら現役を引退。横綱昇進は果たせず、幕内での優勝はなかったものの、幕内通算で418勝330敗57休、勝率5割5分9厘という成績を残した。そのほか、三賞は7回(技能賞6回、敢闘賞1回)、金星は2個(北の富士、琴櫻から)。

引退後は、年寄・2代大島を襲名。1980年に大島部屋を創設し、モンゴルより新弟子を6人スカウトするなど後進の育成に尽力。以後、第63代横綱旭富士(現・伊勢ケ浜親方)を始め、元小結旭鷲山、元関脇旭天鵬、元小結旭道山、元小結旭豊(現・立浪親方)など、多数の力士を輩出した。その一方、日本相撲協会の理事として従業部長などの要職も歴任。

旭國斗雄 死因

東京都墨田区にある自宅にて死去。明確な死因などは公表されていない。77歳。死去の事実は、日本相撲協会関係者によって明らかにされた。晩年は糖尿病を患い、両足が不自由だったという。

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