クインシー・ジョーンズ

音楽プロデューサー・ミュージシャン・作曲家・編曲家。アメリカを始め世界中で爆発的な人気を博した伝説的歌手のマイケル・ジャクソンとタッグを組み、たびたび共同プロデュースにて大ヒットアルバムを生み出したことで有名。中でも、1982年に発表されたアルバム「スリラー」(1982年)は、「史上最も売れたアルバム」として、売り上げ世界一のギネス記録を達成している。

1933年、アメリカ合衆国中西部にあるイリノイ州シカゴ生まれ。少年時代からトランペットを学び、同じく少年だったレイ・チャールズとバンド活動を開始するなどジャズに親しむ。1951年、マサチューセッツ州ボストンにあるバークリー音楽大学を卒業後、ジャズ・トランペット・プレイヤーとしての活動や作曲者・編曲者などを経て、1960年代よりプロデューサーとして活躍するようになる。以後、最優秀プロデューサー賞を3度に渡って受賞するなど、アメリカ音楽界最高の栄誉であるグラミー賞の常連となり、映画音楽など様々な分野へ活動の幅を広げていった。1985年には、アメリカの著名アーティストやスター歌手らが参加したチャリティーソング「ウィー・ア・ザ・ワールド」(We Are The World)でもプロデューサーを務めるなど、その活躍は枚挙に暇がない。日本にも何度か訪れており、日本武道館を始め、東京国際フォーラム、福岡サンパレス、神戸国際会館などで公演を行った。

ミュージシャンとして発表したアルバムは、「私の考えるジャズ」「グレイト・ワイド・ワールド・オブ・クインシー・ジョーンズ」「ジャズ・アブロード」「クインシー・ジョーンズ・アット・ニューポート’61」「ザ・ヒップ・ヒッツ」「ザ・クインテッセンス
「ウィー・ハド・ア・ボール」「ソウル・ボサ・ノヴァ」「Q’S ジューク・ジョイント」「至上の愛」「愛のコリーダ」「マドモアゼル・ド・パリ」など、多数。

テーマ音楽などの楽曲に参加した映画には、「歩け走るな!」「蜃気楼」「恐怖との遭遇」「夜の大捜査線」「続・夜の大捜査線」「ミニミニ大作戦」「マッケンナの黄金」「ジョンとメリー」「汚れた七人」「サボテンの花」「ゲッタウェイ』」「センチュリアン」「ウィズ」「ショーン・コネリー – 盗聴作戦』」「カラーパープル」などがある。

クインシー・ジョーンズ 死因

アメリカ合衆国・ロサンゼルスのベルエア地区にある自宅にて死去。死因などの詳細は明らかにされていない。91歳。

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