谷川俊太郎

(たにかわしゅんたろう)
詩人・脚本家・作家・翻訳家・エッセイスト。特に、「二十億光年の孤独」「日々の地図」などの詩集で知られ、戦後日本を代表する詩人として有名。「タニシュン」の愛称で親しまれた。哲学者で、法政大学総長などを務めた谷川徹三の息子。

1931年、東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)に生まれ、第二次世界大戦での山の手空襲体験などを経て、1940年代の後半から詩を作り始める。1952年、第1詩集「二十億光年の孤独」を発表してデビュー。以後、数々の詩集を発表したほか、エッセイや脚本の執筆、作詞、評論など、幅広く活躍するようになる。大胆ながら平易な言語を用い、みずみずしく新鮮な表現を生み出す作風は大きな注目を集め、幅広い世代の支持を集めた。

発表した主な詩集に、上述のデビュー作「二十億光年の孤独」や「日々の地図」を始め、「六十二のソネット」「うつむく青年」「空に小鳥がいなくなった日」「日本語のカタログ」「みみをすます」「魂のいちばんおいしいところ」「女に」「はるかな国からやってきた」「夜のミッキー・マウス」「あなたはそこに」「すこやかにおだやかにしなやかに」「小さなかがやき」「ミライノコドモ」「こころ」「バウムクーヘン」「となりの谷川俊太郎」など、多数。

絵本や童話では、「ことばあそびうた」「あいうえおっとせい」「十円玉」「ほうすけのひよこ」「いちねんせい」「おばあちゃんのえほん」「かぼちゃごよみ」「だれ?」「クレーの絵本」「ふじさんとおひさま」「ガチャピンとムックのものがたり」「ふたり★おなじ星のうえで」「むかしむかし」「おはなししましょう」「ココロのヒカリ」「これはすいへいせん」「せんそうしない」「あみだだだ」「生きてるってどういうこと?」「かわださん」「はいくないきもの」など。

翻訳を手掛けた作品には、「あしながおじさん」(ジーン・ウェブスター)、「SNOOPY」(チャールズ・M・シュルツ)、「かえってきたビップ」(マルセル・マルソー)、「もうふ」(ジョン・バーニンガム)、「ストーリーナンバー」(ウージェーヌ・イヨネスコ)、「あひるのさんぽ」(ロン・ロイ)、「ペンギンのペンギン」(デニス・トラウト)、「ジョンくんえほん」(ボブ・グレアム)、「ティリーとかべ」(レオ=レオニ)、「あそぼ」(エルヴェ・テュレ)など、多数。

脚本を手掛けた映画には、「東京オリンピック」「火の鳥」「ヤーチャイカ」「子猫物語」「時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日」など。テレビドラマでは、「あなたは誰でしょう」「電話」「じゃあね」「パーティー」「源氏物語」「祭」など。

そのほか、作詞活動でも、小学校から大学まで数々の学校の校歌や、テレビアニメ・ラジオ番組のテーマ曲、童謡、歌曲やフォークソング、合唱曲、企業の社歌など、幅広いジャンルで数多くの作品を残した。

受賞歴にも枚挙に暇がなく、日本レコード大賞作詞賞、日本文化デザイン大賞、日本翻訳文化賞、読売文学賞、小学館文学賞、野間児童文芸賞、朝日賞、毎日芸術賞、現代詩花椿賞、詩歌文学館賞、中坤国際詩歌賞、三好達治賞、鮎川信夫賞、萩原朔太郎賞、丸山豊記念現代詩賞、国際交流基金賞、ストルガ詩の夕べ金冠賞、アメリカン・ブック・アワードなど、多数の賞を獲得。

谷川俊太郎 死因

死因は、老衰であった。92歳。死去の事実は、近親者で葬儀などが執り行われたあと、亡くなって6日ほどが経過してから明らかとなり、各メディアにて一斉に報道された。

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