三笠宮崇仁親王妃百合子

(みかさのみやたかひとしんのうひゆりこ)
皇族。三笠宮崇仁親王の妃で、三笠宮家第2代の当主。「三笠宮妃百合子さま」「崇仁親王妃百合子殿下」などと呼ばれることも多い。

1923年、東京府東京市(現在の東京都港区)に華族令嬢として生まれ、女子学習院本科(現在の学習院女子高等科)を卒業後、1941年に三笠宮崇仁親王と結婚。以後、三笠宮家を内助の功で支えながら、崇仁親王の理解者として長きに渡って存在感を示した。一方で、皇室会議議員、社会福祉法人恩賜財団母子愛育会の総裁などの要職も歴任。

1999年、虚血性心疾患(狭心症)などによりペースメーカーを装着。2007年には大腸癌を患っていることが発覚し、摘出手術を受けた。以後、肺炎や心不全、発作性心房細動の発症など、健康状態に不安を抱える状態が続き、晩年は赤坂御用地の三笠宮邸で療養。2024年3月には軽い脳梗塞の症状と誤嚥性肺炎のために入院し、全身の機能低下が進む中、様子を見ながらの治療が続いていた。

三笠宮崇仁親王妃百合子 死因

東京都中央区にある病院にて薨去。死因は、老衰であった。101歳。皇室では最高齢であった。

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