賀川浩

(かがわひろし)
元サッカー選手・記者・ジャーナリスト・スポーツライター。同じく元サッカー選手で日本代表でもあった賀川太郎の弟。サッカージャーナリストの草分け的存在として名高い。

1924年、兵庫県生まれ。神戸一中(現在の兵庫県立神戸高等学校)時代にサッカーを始め、全国大会を制覇した経験もある。その後、第二次世界大戦での軍隊招集などを経て、神戸大や大阪サッカークラブで中心選手として活躍。1952年、産経新聞社へ入社してからは、サッカー分野を中心に取材を進め、釜本邦茂など日本を代表する選手や、「日本サッカーの父」と呼ばれたドイツ人指導者であるデットマール・クラマーらとの親交も深かった。

1986年のFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ・メキシコ大会では、準々決勝のアルゼンチン・イングランド戦を現地取材。今なお伝説的プレイとして称賛されているディエゴ・マラドーナの5人抜きドリブルを記者席より撮影した。以後、2014年のブラジル大会まで、FIFAワールドカップを通算10大会に渡って取材。その功績が称えられ、2015年には日本人初となるFIFA会長賞を獲得した。さらに同年、FIFAバロンドール授賞式に招待され、スペインのアンドレス・イニエスタやポルトガルのクリスティアーノ・ロナウドなど、世界的なスター選手らと一緒に壇上に上がっている。そのほか、2010年に日本サッカー協会より日本サッカー殿堂の特別表彰を受けるなど、その功績や栄誉は枚挙に暇がない。当人の膨大な数に上るサッカー関連蔵書は兵庫県神戸市立中央図書館に寄託され、「神戸賀川サッカー文庫」として公開されている。

主な著作に、「90歳の昔話ではない。古今東西サッカークロニクル」「釜本邦茂・ストライカーの美学」「このくにのサッカー」「ワールドカップ全史」「サッカー日本代表 – 世界への挑戦」「ボールを蹴って50年」「ストライカーの技術講座」など、多数。

賀川浩 死因

兵庫県神戸市内にある病院にて死去。死因は、老衰であった。99歳。90歳を過ぎても執筆活動を継続し、最年長のサッカージャーナリストとして注目を集めていた。晩年は老人施設で生活しており、10月ごろより体調が悪化、食事も満足に摂れないなど不安定な状態が続いていたという。

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