(わたなべつねお)
実業家・元新聞記者。読売新聞グループの本社代表取締役主筆。プロ野球チームである読売ジャイアンツ(巨人)の球団オーナーを始め、同球団取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長、大相撲横綱審議委員会委員長などの要職を歴任してきた。「ナベツネ」「世界のナベツネ」「独裁者」「野球界の独裁者」「政界のフィクサー」「メディア界のドン」など、その呼称は数知れず、実業界を始めとした各方面に絶大なる影響力を与える存在として名を馳せた。中曽根康弘元首相、安倍晋三元首相など、親交が深い政治家も数多かった。旭日大綬章・フランス政府芸術文化勲章(コマンドゥール)受章者。
1926年、東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)生まれ。幼少時代に不動貯金銀行(現在のりそな銀行)に勤めていた父が他界し、全財産を相続する。その後、東京帝国大学(現在の東京大学)に入学、1950年に卒業し、読売新聞社に入社。ワシントン支局長、解説部長、政治部長、取締役論説委員長、筆頭副社長などを経て、1991年、社長に就任した。1996年、読売ジャイアンツ球団オーナー。1999年、日本新聞協会会長。2004年、東京医科歯科大学学長選考委員会座長。2014年、読売ジャイアンツ取締役最高顧問。2016年、読売新聞グループ本社代表取締役主筆。
著書(共著を含む)に、「大臣」「政治の密室」「党首と政党」「ホワイトハウスの内幕」「ポピュリズム批判」「大統領と補佐官」「わが人生記」「反ポピュリズム論」「君命も受けざる所あり」「渡邉恒雄の経営術」「渡邉恒雄回顧録」「靖国と小泉首相」「戦後政治はこうして作られた」など、多数。
渡辺恒雄 死因
東京都内にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。98歳。11月末までは定期的に出社の上、会議にも出席していたという。12月に入り体調を崩して病院での治療を余儀なくされたものの、亡くなる数日前まで執務を継続していたとのこと。