鈴木修

(すずきおさむ)
実業家・企業家。静岡県浜松市に本社を構える自動車・輸送機器メーカー「スズキ株式会社」で代表取締役や会長を務めたことで有名。最終的には同社相談役、および公益財団法人スズキ財団顧問に就任していた。藍綬褒章・勲二等旭日重光章受章者。

1930年、岐阜県益田郡(現在の岐阜県下呂市)生まれ。1953年、中央大学を卒業後、中央相互銀行(現・愛知銀行)への勤務などを経て、1958年にスズキの2代目社長(鈴木俊三氏)の娘婿として同社へ入社。1963年に取締役に就任すると、以後、常務取締役、専務取締役を経て、1978年に4代目となる代表取締役社長となった。さらに、2000年からはCEO(代表取締役会長)、2008年からはCEO兼COO(代表取締役会長兼社長)を務めた。そのほか、財団法人スズキ教育文化財団理事長、日本自動車工業会理事、中部実業団陸上競技連盟会長、公益財団法人日印協会理事および副会長といった要職を始め、特定地上基幹放送事業者である静岡エフエム放送株式会社の会長や、愛知県豊橋市のガス会社である中部瓦斯株式会社(現・サーラエナジー株式会社)の取締役なども歴任した。

スズキ株式会社では、自らを「中小企業のオヤジ」と呼びながら同社を牽引。誰もが気軽に乗ることができる小さな車にこだわりながら、「ワゴンR」や「アルト」といった数々の軽自動車をヒットさせた。その経営手腕はカリスマ的であると言われ、海外展開にも積極的に尽力。インドでは第1位の販売シェアを達成するなど、3000億円台だった年間売上は3兆円超にまで成長し、世界的メーカーとなった。2021年に同社会長を退任したものの、各方面で精力的な活動を続け、財界や政界などに対して多大な影響力を持ち続けていた。

鈴木修 死因

死因は、悪性リンパ腫であった。94歳。死去の事実は、葬儀などが近親者によって執り行われたあと、亡くなってから2日が経過したのちにスズキ株式会社より発表された。

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