ジミー・カーター

政治家。アメリカ合衆国元大統領(第39代)。ノーベル平和賞受賞者。同じく政治家であったジェームズ・アール・カーター・シニアの息子。政治家・実業家であるジョン・ウィリアムの父。

1924年、アメリカ合衆国南東部ジョージア州のプレーンズ生まれ。海軍兵学校を卒業後、教育委員などを務めながら地方政治にて経験を積んだのち、1961年にジョージア州上院議員選挙に出馬。初当選を果たす。1971年から1975年にはジョージア州の知事も務めた。1976年、アメリカ合衆国大統領選挙に民主党より立候補。現職だった共和党のジェラルド・R・フォード氏を破って勝利を収め、翌1977年に大統領に就任してホワイトハウス入り。以後、イスラエルとエジプトの中東和平を仲介するなど外交において輝かしい業績を残したものの、アメリカ国内の経済政策では不況を立て直すことが出来なかった。さらに、1979年に発生した在イラン米大使館人質事件で救出作戦にも失敗するなど、徐々にトップとしての指導力を疑問視されるようになり、1980年の大統領選挙では共和党のロナルド・レーガン氏に大差で敗北。1期(4年)で大統領の座を退くこととなった。

しかしながら1982年に非政府組織(NGO)であるカーター・センターを創設するなど、引退後も民間外交や人権外交において奔走。大きな存在感を示し続けた。1994年には、アメリカ大統領経験者として初となる北朝鮮訪問も実現。金日成主席と会談し、核問題で高まっていた両国の緊張を緩和した。2002年にはキューバを訪れ、カストロ国家評議会議長とも会談。こういった活動を始め、紛争や感染症などの解決に尽力した成果が国際的な評価を受け、ノーベル平和賞の受賞に至った。

ジミー・カーター 死因

故郷であるアメリカ合衆国のプレーンズにある自宅にて死去。死因などの詳細は明確にされていないが、病気であると思われる。100歳。アメリカの歴代大統領の中で1位となる長寿記録保持者であった。死去の事実は、当人が率いるカーター・センターが公式サイトにて発表。晩年は脳や肝臓に腫瘍を抱えるなど健康問題に悩まされながら入退院を繰り返す生活を送っており、2023年2月より在宅ホスピスケア(終末期医療)に移行していた。最期は家族に見守られながら、安らかに息を引き取ったという。

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